昭和の日本映画界を牽引してきた俳優・菅原文太さんが11月28日午前3時、東京都内の病院で転移性肝ガンによる肝不全のため亡くなっていたことが分かった。81歳だった。
菅原さんの付き人だった俳優の宇梶剛士(52)は追悼コメントをツイッターで発信。
「今日は東映撮影所で撮影をしています。18歳の半ばすぎに親父に付いて東映撮影所に来たことを思い出していました。菅原文太という人は、いつでも弱き者の味方でした」
と、芸能界の父をしのんだ。
菅原さんは09年より山梨県韮崎市で耕作放棄地を使って農業を始め、俳優業は「半分引退した」と語っていたが、都内で仕事がある折りには、港区の常宿近くの和食屋によく立ち寄っていた。菅原さんは付き人を募集する際には、この店主によく相談していたという。
「社交的で弱者の味方になるような若者や、リストラされた酔客とカウンターで一緒になってもコミュニケーションがとれるような人材を探していたようです。偉大な俳優は、スタッフや共演者への気配りが素晴らしいもの。長期間にわたる映画ロケでは、協調性があり、配膳の手伝い的なことができる付き人は重宝されます。居酒屋という社交場で付き人を発掘する菅原文太さんの人を見る目は素晴らしかった」(映画関係者)
その菅原のもとで鍛えられた宇梶も、業界ではスタッフや共演者への気配り上手として知られている。
「兄貴的なキャラクターだった菅原さんの遺伝子は、芸能界では宇梶さんが受け継いでいます」(芸能プロマネージャー)
菅原文太の任侠道は、作品以外でも多くの人の心に刻まれたことだろう。