2023年シーズン、広島カープをリーグ2位に押し上げた原動力のひとつが、新井貴浩監督の明るすぎるキャラクターだといわれている。チームがサヨナラ勝ちや逆転勝利を収めようものなら、真っ先にベンチを飛び出す姿は、すっかりおなじみだ。
その新井監督が歩んできたのは、実は「コネ人生」だったといわれている。1998年にドラフト6位で指名され広島に入団したが、当初は守備がとてもプロで通用するレベルになく、指名リストに名前は掲載されていなかった。
だが、生粋の広島ファンで、小さい頃から赤ヘル軍団の一員になることを夢見ていた新井監督は、自分と同じ駒沢大OBで広島の中心選手だった野村謙二郎を、手土産持参で訪問。バットスイングを披露し、アピールしたという。
このなり振り構わない行動に心を動かされた野村が球団に猛プッシュし、会議直前にリスト入りを果たしたのだ。さらに同校OBで、山本浩二監督の下でヘッドコーチを務めた大下剛史のツテも頼り、なんとかドラフト当日の指名にこぎつけた。
新井監督の「コネ」は、広島復帰の際にも発揮された。彼は当初、「生涯広島」を宣言していたが、先にFAで阪神入りしていた金本知憲のあとを追って国内FA権を行使し、2008年に阪神入りした。広島はメジャーでプレーした黒田博樹など海外FA組は別として、国内FAで他球団に移籍した選手の出戻りを、松田元オーナーは認めないという不文律がある。
2014年に阪神から戦力外通告を受けた新井監督も、本来なら広島復帰は難しかったが、ここで「コネ」が発揮された。新井監督の広島愛の深さをアピールされた球団フロント幹部らが、松田オーナーを説得。再び赤ヘル軍団の一員になったのである。
だが「コネ」だけの選手でなかったのは、周知の通りだ。人一倍の努力で広島でも阪神でもレギュラーに。MVPや本塁打王、打点王のタイトルを獲得し、球界を代表する選手になった。「大事なのは入り方ではなく、入ってから」を証明した現役人生といえよう。
(阿部勝彦)