広島の新井貴浩(39)が、4月26日、史上47人目となる通算2000安打の偉業を達成した。広島では衣笠祥雄氏、山本浩二氏、野村謙二郎氏、前田智徳氏に続く5人目の快挙だが、このカープのビッグネーム4人に比べ、入団当時から新井の快挙を予測した人はほとんどいなかった。
〈まさかあのアライさんが‥‥。〉
カウントダウンが始まると、カープナインは独自に製作した「新井Tシャツ」を着用して練習。背中に書かれた文言とともに、ファウルフライの目測を誤って転倒した時の写真が印刷されていた。
「実は、新井はコネ入団だった。右肩が壊れていて、どこの球団もドラフトのリストから消していました」
とは、当時を知る広島関係者の話である。
広島工高から駒沢大に進み、駒大では打点王、ベストナインを取りながらも、「守るところがない」との理由でスカウトから敬遠された。だが当時、広島のオーナーに顔が利いた「裏の仕掛け人」が高校時代の関係者に頼まれ、水面下で工作を開始。駒大の先輩である「野村謙二郎ルート」も利用しようとしたが、野村氏が「自分の目で見ないと推薦できない」と言ったため、新井は野村氏の自宅へ行き、目の前でバットスイングを見せた。そこには現阪神監督の金本知憲氏もいたという。新井の意欲と力強いスイングを見て、2人は納得。次期監督候補としてオーナーに買われていた野村氏の推薦に加え、新ヘッドに就任予定だった駒大出身の大物OB・大下剛史氏にも推薦を頼み、まさにコネ尽くしで入団にこぎつけた。
当時の達川光男監督は新井を積極起用したが、ミスばかりを連発。中日戦ではアウトカウントを間違えてコーチにボールを手渡し、その間にランナーが生還して敗戦。達川監督は、
「いくらコネがあっても、これじゃあ、5年でクビじゃ」
と激怒している。
だが想像を絶する努力と忍耐が、新井を急成長させる。カープ関係者によれば、
「超スパルタで知られる大下氏や、当時の西田真二打撃コーチが課した朝から晩までの猛特訓に耐え抜いた。当時、ヤクルトの宮本慎也氏が、シーズン中の試合前にも猛ノックを受けてユニホームが泥だらけになっている新井を心配して、広島の首脳陣に『これ以上はもうやめてやってくれませんか』とお願いしたエピソードもあります」
その後、金本氏を追うように移籍した阪神では豪快な打撃が鳴りを潜め、最後は1億3000万円の大減俸を提示されたことで、14年オフに退団を申し入れて自由契約に。古巣の広島からは獲得の打診があったが、新井は復帰するかどうか、悩み抜いた。
「FAで後足で砂をかけるような形で広島を出ていった自分が戻っていいものか、と。緒方孝市監督(47)が新井の入団に反対しているという情報も耳に入り、引っ掛かっていたのです。最終的に決断させたのが黒田博樹(41)の後押し。まだ黒田の広島復帰のニュースが表に出ていない時期でした」(球団関係者)
アメリカから新井に電話をかけた黒田が「大丈夫だから戻ってこい」と声をかけたのだ。
チーム最年長野手ながら、後輩からイジられ放題。
「本来なら2000安打達成が近づくとナーバスな話題には触れたくないものですが、菊池涼介(26)からは試合が終わるたびに『新井さん、残り○本ですね』とプレッシャーをかけられ続けていました」
次の話題は必然的に「引退Xデー」となるが、後輩に「引退まであと○試合ですね」とイジられ続けるのかもしれない。