連載当時、誰もがバブルの崩壊を予見することができなかった90年。そうした中、文太はいち早く、日本の消費至上社会に苦言を呈していた。
〈外車に乗りたいといったくだらん夢は捨てたほうがいい。パチンコ屋や不動産のオッサン、プロ野球選手や芸能人、極道のお兄さん方はよう高級外車に乗っとる。ひとつのステータスシンボルかもしれんが、オレは欲しがらんわ。タクシーに乗るのもいやだしね〉(90年11月29日号)
全58回の連載の構成を担当したルポ・ライターの岡邦行氏が当時を振り返る。
「銀座にあった菅原さんの事務所を訪ねると菅原さんは、よくガラス張りの部屋でソファに寝そべり読書にふけっていました。自宅から地下鉄に乗って来ることもあるなど、映画の豪放磊落で武骨なイメージとは真逆の庶民派のインテリタイプでした。外で食事をする時は『オレも映画スターだから格好つけなあ、ならんのよ』と言っていたのが印象に残っています」
晩年には、反原発や沖縄の基地問題にも積極的に発言した。連載においても憂国の士として発言した。
〈くだらんな、政治の世界は。どうひいき目に見ても、ありゃあ、茶番劇にしか見えんわな。はっきりいって、政治改革とか政策論争うんぬんいってもしゃあないことでね。総理大臣の選び方から変えなきゃダメだろうよ。オレは、大統領を決めるアメリカ式がいいと思うわな。だいたい永田町で決まるなんてことは国民をバカにしとる。多数派閥に顔を向けりゃあ総理大臣になれる。国民に顔を向けりゃあソッポを向かれる。アベコベだわな、いまの日本の政界は〉(91年11月7日号)
役者としても人間としても、最後まで権力や体制に対して、懐疑的で批判的な視点は連載でも一貫していた。
〈早い話が、銀行も証券会社も庶民の懐からピンハネした金で、悪さをやっとる。何ら暴力団と変わらんな、やってることが。世の中には極道も真っ青になる暴力ははびこっているんじゃないか。カタギの世界の人間のほうが乱れているな〉(91年10月3日号)
常に庶民のヒーローであり続けた人生だった──。合掌。