バブルの喧騒に沸く90年10月に連載開始。アサ芸読者の常識や戯言に冷や水を浴びせるような直言で人気を博したのが人生相談「たかだか人間!」だった。終了から20年以上が経過しても今なお色あせない「珠玉の名言」をお届けしよう。
「菅原文太ですけん、よろしゅう!」
威勢のいいタンカで始まった「たかだか人間!」は、「アサヒ芸能」90年10月11日号からスタート。その後91年12月まで、1年3カ月にわたり、名物連載として誌面を飾った。硬派なイメージの強い文太が、この連載では、ちゃめっ気たっぷりにジョークを放ったかと思えば、口角泡を飛ばす勢いで、社会の欺瞞を糾弾する。そうした文太の本音に読者は喝采を送ったものだった。
第1回で紹介された相談では42歳の主婦が、文太ファンの夫が、「トラック野郎」のポスターを部屋に飾り、仕事に出る時は両手を合わせるという態度が理解できないとこぼす。すると文太は、臆面もなく自分の中に秘めてきたミーハーな一面を吐露するのだ。
〈正直いうて、オレもその昔はミーハーでね。古い話で申し訳ないが、高校時代はいまでいう追っかけのようなマネをしとって、ジャン・ギャバン(フランスの国民的映画俳優)にイカれてたな。ブロマイドなんか200枚は持っていたんじゃないかな。オレはブロマイドに最敬礼していた。そういう記憶があるわ(笑)。男心いうんは、そういう純なもんでね。この純な心いうもんを、いまの世の中は忘れているわなぁ〉(原文ママ 以下同)
かと思えば、父親の遺産で毎日パチンコやマージャン三昧の35歳の無職男性には、実録路線を彷彿させる文太節が炸裂。
〈ハッキリいうてやるけん。ワレ、いいかげんにマジメにならんとアカンわな。何をうじゃうじゃしとるんじゃあ。男じゃけんのう。ガンバッテつかわさいや(笑)。ま、「仁義なき戦い」の広島弁を思い出していうと、こんな感じになるわな〉(90年10月11日号)
ところが、相談主を一喝したかと思えば、情けをかけるところも文太兄ィらしい。
〈しかし、オレも偉そうなことはいえんな。オレもぐうたら人間でね、本質は。仕事のないときは家でゴロゴロしている。たかだか人間、気軽にやったほうがええわな〉
ここでも「たかだか人間!」のタイトルそのままに、自然体で飾り気のない言葉が並ぶのだ。