連載を通じて、文太兄ィは当時57歳の人生の先輩として、男性読者に対して一貫してエールを送り続けた。中でも出世に乗り遅れたサラリーマンや、社会のスピードになじめずにいる読者には、惜しみない温かい言葉をかけたものだった。
〈日本人の悪い癖だな。何でもかんでも急いでいる。外国なんかは違うんじゃないのか。チャールズ・ブロンソンとか亡くなったスティーブ・マックイーンなんか、大スターになったのは中年になってだからね。オレとおんなじだよ。ま、人間、急いでおったらあんまりいいことない。足もと見てマイペースを守っておったら、けつまずくこともないわな(苦笑)〉(90年12月13日号)
文太の人生観には、下積み時代の苦労が、色濃く反映されている。ギャンブルに興じたことを赤裸々に白状したこともある。
〈大昔はだいぶ府中(競馬場)に足を運んでた。20代のころだったが、スッカラカンになるまでやってしまいには電車賃も使っちまって交番に行ってね。サイフを落としたとウソついて電車賃を借りたこともあったよ(苦笑)。考えてみりゃあ人間なんか生きていること自体がバクチのようなもん。結婚なんかも考えようではバクチといっしょだ。別に競馬をやめんでもいいと思うがのう〉(91年5月9日16日合併号)
また酒に関するエピソードにも事欠かない。
〈考えてみりゃあ、酒をはじめて口にしたのは中学1、2年のときだから酒歴45年。中学時代は戦争中ということもあって、酒は配給でね。中学生のガキが口にできる酒などあるはずもなかったんだが、オレの家には幸か不幸か知らんが、ドブロクがあった。大酒飲みか! いいじゃないの。酒癖が悪い? そんなことは他人が勝手にきめつけることでね。酒を飲んでて例えば、隣にいい女がいればちょっとちょっかい出したくなるのが男でね〉(91年5月23日号)
酒飲みの男にとって、アルコールは、人生のよきパートナーでもある。文太もまた、人気俳優になる以前には、酒を飲みながら任侠映画に喝采を送った。
〈昔は任侠映画を観るとなりゃあ酒は付き物でね。オレなんかも鶴さん(鶴田浩二)や健さんの映画というと、一升瓶とはいかなかったが、四合瓶を持参してね。ラッパ飲みしながら見とったわな。ほかの観客も同じでね。拍手もしたし、『健さん、うしろにドスが!』といった声も張り上げてた。任侠映画を見るのにコーラにポテトチップじゃ話にならんな。酒を飲んでスルメをしゃぶって見なきゃ気分も出んよ〉(91年5月23日号)
こうした銀幕スターへの憧憬と紆余曲折が、不世出のスターを生む素地となったのだ。