〈漢─おとこ─〉を見るために男たちが劇場へ押し寄せる──そんなよき時代の最後のスターが菅原文太だった。日本映画の革命となった「仁義なき戦い」、ひたすら娯楽に徹した「トラック野郎」など、スクリーンに熱視線を送ったあの日‥‥。半世紀以上も文太を報じてきたアサヒ芸能だから語れる「秘話」の決定版!
〈わしら、どこで道間違えたんかのう‥‥。夜中に酒飲んどると、つくづく極道がイヤになっての〉
車の中で広能昌三に向かって本音を吐露する山守組の若頭・坂井鉄也。これに対して広能は、かつての仲間に毅然と言い放つ。
〈最後じゃけん言うとったるがの、狙われるモンより狙うモンのほうが強いんじゃ〉
シリーズを通しての主役である広能を菅原文太(享年81)が、第1作「仁義なき戦い」(73年、東映)の実質的な主役である坂井を松方弘樹が演じた。当時の東映には鶴田浩二、高倉健という大看板がいたが、これを文太が追いかけ、さらに松方ら若手が追いかけるという役者の図式だった。
松方がシリーズ屈指の名場面を振り返る。
「役の上では僕が若頭で、文太さんの広能と同格だけど、実際の年齢は9歳も違う。だから2人の顔がカットバックで大写しになると、こっちの顔が若すぎちゃうんだ。文太さんみたいな、いいシワが欲しいと本気で思ったよ」
そのため松方は、2つの洗面器に冷水と熱湯をそれぞれ用意し、交互に顔をつける。医学的な根拠は何もないが、それほど憧れた味のある“男の顔”だったのだ。
ちなみに第1作では、坂井のアパートを広能が訪れ、ポケットからタバコを取り出そうとする場面がある。これを坂井は拳銃と勘違いし、取り乱して「ひぇ~いっ!」と奇声を上げる。
「これを文太さんは『お前、それおもしろいなあ』とすごくほめてくれました」
シリーズ完結から10年後、松方はアサヒ芸能連載小説を映画化した「修羅の群れ」(84年、東映)で“一本立ち”ができたと実感する。
「文太さんや鶴田浩二さんが脇に回ってくれてうれしかった。100本以上の映画に出たけど、これと『仁義──』があったおかげで今でも役者でメシが食えていると感謝しています」
さて、シリーズの第1作目。いきなり右腕を切られるシーンで観客を驚かせたのが上田透に扮した伊吹吾郎だ。文太とは「関東テキヤ一家」(69年、東映)や「現代や○ざ 血桜三兄弟」(71年、東映)、「木枯し紋次郎」(72年、東映)で共演の機会を得ていた。
「その頃の文太さんは、まだ持ち味を出し切れていなかったから、撮影所ですれ違っても無口で気難しそうな印象だったね」
それが「仁義なき戦い」でハネた。それは文太だけでなく、くすぶっていた中堅や若手の役者たちも同様であった。
伊吹は文太にアドバイスされたシーンを忘れられない。それは賭場にいた伊吹が、文太の若い衆からビールを注がれ、激高する場面だ。
〈何なら、これは馬の小便か? ビールならもっと冷やいの持ってこんかい!〉
この言葉に文太がつかみかからんとする。
〈馬の小便いらんならホンマの小便飲ましたろか!〉
〈おお、飲ましてみいや〉
稀代の脚本家・笠原和夫らしい比喩だが、だからこそ文太は伊吹に耳打ちした。
「吾郎よ、お前のセリフで『馬の小便』の例えは際立ってるぞ。いいか、ここが正念場だぞ」
遠慮せずにぶつかってこいというアドバイスだった。