Jリーグ屈指のプレイボーイとして名を馳せた元日本代表の前園真聖氏。若い頃はかなりのヤリ手であったことを、播戸竜二氏のYouTubeチャンネルで明らかにしている。
前園氏は自身のサッカー人生を振り返り、監督の家に住み込んでサッカー漬けの生活を送っていた鹿児島実業高校での日々や、横浜フリューゲルス入団までのいきさつを明らかにした。華々しいサッカー人生を歩んできたように見えるが、Jリーグが開幕した年はサテライトリーグに出場し、1度もトップチームに上がることができなかったという。
それを聞いた播戸氏が夜遊んでいたからではないかと聞くと、前園氏は「うん。それはある」と即答。続けて、当時の生活をこう明らかにした。
「(高校生の時)監督の家に監禁されて、やっと羽伸ばして横浜にたどり着きました。寮だったんだけど、マンションだから自由に出れます。車も買えます。1番最初に買ったのはRX7。スポーツカーってかっこいいと思って買います。練習はやるけれど、終わったら横浜の山下公園にナンパしにビューン行きます。左サイドだから左車線通って(笑)。19歳だからそういうのも興味あります。練習も一生懸命やってたけど、違うとこにも楽しみがあった」
ナンパ三昧の日々を送っていると、気づいたら1年目のシーズンが終わっていたという。
当時のJリーグは高卒の選手なら3年で結果を出さないとクビになると聞かされた前園氏は危機感を持ち、このままではダメになるとアルゼンチン留学を決意。田舎の小さなクラブ「ヒムナシア・ラ・プラタ」で4カ月修行に励んだ。ここで前園氏は自分の甘さを思い知らされたという。
「同じ年代の選手が練習からレギュラー関係なくガツガツやってるわけよ。フリューゲルスと全然違うと思って。当時のJリーグの練習は試合のための練習で、調整みたいな感じだったがアルゼンチンには全然ない。彼らは手取り5万ぐらいで、夜になると出ていったので遊びに行ってると思ったら、バイトしてる。レストランで皿洗いして12時ぐらいに帰ってきて、翌日、朝9時から練習。気持ちが全然違うなと思った」
この留学がなかったら、選手として終わっていたはずだと前園氏。それに気づかないで3年で終わった選手は当時たくさんいたという。
その後の前園氏の活躍を見ると、アルゼンチンに留学してよかったと思うしかない。ナンパ三昧をやめた当時の前園氏に拍手を送りたい。
(鈴木誠)