「喝采」のちあきなおみほどではないが、不在の間にCDがバカ売れしているのが中森明菜である。10年10月に体調不良で無期限休業を発表して以来、表舞台から姿を消して4年以上が経過。それでも、8月6日にリリースした「オールタイム・ベスト」は、25万枚のセールスを記録し、CD不況の現在では久々の明るいニュースとなった。
15年にはニューアルバムやオリジナル新曲の発売、その前には紅白歌合戦のサプライズ出場も取り沙汰されているが、関係者の間では「今の体調では完全復帰は厳しい」という見方がほとんど。
そんな明菜は、80年代きっての「歌姫」として知られるが、豪胆なエピソードも事欠かない。デビュー以前、伝説のスカウト番組だった「スター誕生!」(日本テレビ系)の予選では、テレビでオンエアされているにも関わらずバトルを展開。審査員の松田トシに「顔が幼いから童謡でも歌ったら?」と皮肉を言われ、きっぱりと「童謡は『スタ誕』では歌わせてくれないのでは?」とやり返す。
晴れて82年に「スローモーション」でデビューし、勝負曲となった2作目の「少女A」は、新人アイドルと思えない抵抗を示す。
「私、この歌詞は歌いたくない!」
暴走族まがいのヤンチャだった時期もあり、あまりにリアルな歌詞を嫌がったという。事務所やレコード会社の説得でようやくOKしたが、レコーディングは一発で終わらせたというからスゴい。やがてヒット曲を量産するようになると、80年代アイドルとしては稀有な「楽曲の選定、振付け、ファッション」まですべて自身でコーディネート。その頂点にあったのが86年のレコード大賞にも輝いた「DESIRE」だろう。
ただし、歌姫があまりに製作まで首を突っ込むと、人間不信と紙一重になる。いつしかボーカルの衰えもくっきりと目立つようになり、難易度の低いカバー曲オンリーになってしまった印象もある。
そんな明菜の「完全復活」は、まだまだイバラの道であることは間違いない。