もし、あのアンドレ・ザ・ジャイアントが3メートル近い刀を手に突進してきたら、どうするだろうか。
身長210センチ(七尺)の大男で、日本史上最長とされる288センチ(九尺五寸)の大刀を振り回した戦国武将がいる。講談や軍記物で有名な真柄直隆、十郎左衛門である。体重は250キロもあったという。身長7フィート4インチ(約223センチ)、体重520ポンド(約236キロ)の巨体でリング狭しと暴れ回り、「大巨人」と呼ばれたアンドレ・ザ・ジャイアントも真っ青の体格だ。
十郎左衛門は越前国・真柄荘の国人として朝倉氏の客将となり、上真柄の地に居館を構え、武勇に優れた人物として知られている。その名前を有名にしたのは、手にしていた大太刀だった。
通常、「太刀」の刀身の長さは二尺三寸(約69.7センチ)程度が標準で、「定寸(じょうすん)」と呼ばれる。刀身が二尺五寸(約75.7センチ)を超えるものは長刀と認識されるが、288センチはまさに規格外といえる。
この太刀は「朝倉始末記」に名をとどめただけだが、十郎左衛門が所有し、現存するものとしては、備中青江派の刀工作で熱田神宮が所蔵する刃長七尺三寸(約221センチ)の「太郎太刀」がある。
元亀元年(1570年)、織田・徳川連合軍と朝倉軍の間で起きた姉川の戦いで、十郎左衛門はこの「太郎太刀」を振って奮戦した。
だが朝倉陣営の敗戦の色が濃厚になると、味方を逃がすために単騎でしんがりを務め、徳川家康の陣営に突入。無数の敵を討ち取り、12段構えの陣を8段まで突き進んだ。
この時、十郎左衛門が「我は真柄十郎左衛門、志ある者は勝負せよ」と叫ぶと「我は徳川の家臣・勾坂式部だ。勝負しろ」と、家康の家臣である勾坂(向坂)三兄弟の長兄・式部が槍で突きかかった。
十郎左衛門は一の太刀でこの相手の槍の穂先を切り落とし、二の太刀で兜を撃ち割って、見事に討ち取ったという。
するとその光景を目撃した式部の弟・五郎次郎と六郎五郎が現れ、攻撃を開始。兄弟は数カ所の深手を負うが、さすがの十郎左衛門も体力を使い果たす。「今はこれまで。真柄の首を取って男子の名誉にせよ」と「太郎太刀」を投げ捨てて首を差し出した。
匂坂兄弟を討ち取った際に使用した太刀は室町時代の刀工・青木兼元の名刀で、のちに「真柄斬り」と名付けられ、こちらも現存している。
(道嶋慶)