W杯予選というのはこんなにも選手の人生に大きな影響を与えるというのか。1994年アメリカ大会と1998年フランス大会、2度の予選を経験した北澤豪氏が、W杯予選の裏話を、鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルで語った。
Jリーグのスタートを翌年に控え、日本中が見守ったアメリカ大会の予選は、今では考えられないことがあったという。
「ポストにお守りを埋めたんだよ。勝てるように、シュートが入るように、入らないようにと。それをカメラマンとやり取りしてた。カメラマンもチームの一員。メディアもあの頃は一緒だった。『一緒にW杯行こうぜ』みたいな。『キーちゃん、このお守り埋めようよ』って。それが楽しかった」
だが、オフトジャパンはロスタイムにイラクにゴールを許し、W杯出場はならず。その後、北澤氏は、
「ドーハが終わった後、家に帰らないで(母校の)修徳高校に行ったの。『なんで行けなかったんだ、お前ら』って先生が怒ってくれるかなって思ったら『残念だったな』って。先生、急に優しくなりすぎじゃないですか、みたいな。俺はあなたに怒ってもらうために来たのに、って」
W杯出場はできなかったが、楽しかったというドーハ。フランス大会予選では、北澤氏の役割に変化があったとか。
「1993年の時はヤンチャで、チャンスを与えられれば気持ちで挑んで何か残すっていう、絶対やってやるぞみたいな感じだった。1997年はバランサー。名波浩、中田英寿をどう生かしていくか。ヒデなんて浮くじゃん。だから浮かないようにしてあげたり。これぐらい年齢が離れていないと、ヒデも言うことを聞かないから。『もう少しチームのこと考えようぜ』って話した」
有望だが我が道を行く若手に、手を焼くこともあった。そんな中田氏の人物像を、
「哲学がある。何よりも考え方がちゃんとしてるから、困らない。新しい時代の人間たちが現れてきたなって。年下なのに顔色をうかがっちゃう時があって。『ヒデ、どうする?』みたいな。俺が言わなきゃいけないのに(笑)」
マレーシアのジョホールバルで行われたイランとの決戦の前には、中田氏とこんなやりとりも。
「スタジアムを見ながら『ヒデ、明日は特別な試合だな』て言ったら『キーちゃん、いつもと試合は一緒だよ」って言われた。『平常心でいきなさい』とか言われて、そうか平常心でいいんだよなって、俺は冷静でいられた」
先輩バランサーでありながら、後輩に諭されたのである。
イランに勝ってW杯出場をつかみ取ったが、帰りのバスの中は無言で、誰もしゃべっていなかったとか。緊張感と安心感からそうなったというが、それだけW杯予選が厳しいことを示すエピソードだ。
2026年のW杯からは、出場国が32から48に増え、アジア枠も4.5から8.5に。W杯出場は、より容易になる。W杯予選でこんなエピソードはもう生まれないかもしれない。
(鈴木誠)