テリー 流した涙の中で学んだことは何ですか。
清原 「後悔」しかなかったですね。息子からの手紙に「野球を教えてください」って書いてあるんですよ。そんな手紙、一緒に生活している時はそんなに心に入ってこなくて、夜、銀座に出たり、飲みに出たりとかしていましたけど‥‥息子たちがいなくなって初めて、彼らの思いがすごく伝わってきたんですね‥‥(声を震わせ目に涙がたまる)。
テリー うんうん‥‥。
清原 やっぱり3年生、6年生になってくると、僕が野球やってきたことも理解してくれるようになって、やっと一緒に野球ができるかな、という時に自分のせいでこういう結果になってしまって‥‥(目にためた涙を拭う)。
テリー 子供たちの野球のセンスはどうですか。
清原 いや、2人ともすごいものを持っていると思います、本当に。上の子は同じ年齢の頃の僕より野球センスがあると思いますし。
テリー 確かに昨年は清原さんにとってつらい1年だったかもしれないけど、年が明けて、流れが変わってくるような気がするんですよ。
清原 実際、生きる力を失った時期がありました。自決しようと思った時もありました。でもそんな勇気もなくて、代わりに糖尿病の治療を一切やめたんですよ。
テリー 治療をやめた「自決」の気持ちが、どんなふうに変化したんですか?
清原 息子たちが野球をしている姿を見て、もうちょっとその成長を見ていたいという気持ちが湧いてきたんです。それでこの取材をきっかけに、実はこれから病院に行ってあらためて検査してもらおうかと思っています。もうちょっと生きてみようかな、と思って。
テリー そんなの当たり前ですよ! そこはきっちり頼みます。ちなみに今、彼女はいるんですか?
清原 みごとにこれだけカラッカラに干からびたことはありませんね。あと糖尿病ですから、そっちはダメなんです。
テリー ダメじゃないですか、清原がそっちがダメだと! それが一番の大問題じゃないですか(笑)。
清原 いろんな薬もありますけど、そこまでしてやろうという気力さえも起きなかったですね。
テリー 確かに1年でそれだけの涙を流していたら、そんな気にもならないよね。
清原 だから、本当にもぬけの殻というか。
テリー ファンがいちばん気にしているところだと思うんですが、今後、野球に関してはいかがですか。
清原 今の12球団を見渡すと、何だかドラマの「半沢直樹」みたいなムードとかぶって見えるんですよ。
テリー 例えば?
清原 オリックスの監督だった大石(大二郎)さんっていますよね? それがシーズン終わった直後に、ソフトバンクのヘッドコーチが決まってるわけですよ。じゃあ、僕らが一緒に戦っている間にソフトバンクと接触を持ってたのか?と。そういうびっくりするような人事が12球団でいっぱいあるわけです。しかも今は、これまで野球界で生きてこられていない方が実権を握っているじゃないですか。そういう状況に、僕みたいなのはいちばん使いづらいタイプだと思うんです。
テリー そうかなぁ、おもしろいと思うけどねえ。例えば「二軍のコーチからやってくれ」って言われたら?
清原 全然問題ないですよ。ただ、せめて下の3年生の子が中学校に入るぐらいまでは彼らの成長をゆっくり見ていたいという気持ちがあるんですね。
テリー 子供にとっては、これからが大事な時期だものね。じゃあ、これからの清原さん自身の夢は?
清原 やっぱり昨年は、はっきり夢を持てなかったです。でも、このまま自宅で引きこもるのも何ですから、四国八十八カ所とかを巡ったりして自分を探しに行ってみようかなと漠然と考えてみたりしています。まだ決定というわけじゃないんですけどね。
テリー そうかあ。今年こそ、清原さんの明るいニュースが聞きたいね。
◆テリーからひと言
清原さんって、こうやって話を聞けば、みんな絶対に好きになるよね。本当はナイーブでいいやつなのに、誤解されているのが本当に悔しい。糖尿病、早くよくなるといいね。
●ゲスト:清原和博(きよはら・かずひろ) 1967年生まれ、大阪府出身。83年夏、PL学園の1年生にして4番を打ち、5期連続で甲子園に出場し、史上最多の13本の本塁打を放つ。85年、ドラフト1位で西武に指名され入団。86年、打率3割4厘、本塁打31本、打点78で最優秀新人賞を獲得。96年にはFA宣言で読売巨人軍に移籍。05年にオリックスに入団し、サヨナラ安打およびサヨナラ本塁打歴代トップに立つ。08年シーズンをもって現役を引退、現在に至る。