テリー 今、巨人軍とは友好的な関係なんですか?
清原 いや、週刊誌等々では「OBの集まりがあった時に清原が来なかった」というふうに書かれていますけど、そもそも招待状が来なかったです。あの週刊誌報道以来、そういう‥‥。
テリー 週刊誌報道というのは、薬物のことですか?
清原 そうです。
テリー あれはいったい、何なんですか。
清原 いや、僕もわからないんですよ。僕も命を賭して裁判で戦うつもりでいたんですけども、僕の恩師に止められたんですよね。
テリー 何と言われて止められたんですか。
清原 僕も理由を聞きたかったんですが、「1年間ぐらい干されるかもしれないけど、(訴訟を)やめたほうが清原さんのためになるから、やらないほうがいい」と。その恩師なりに考えはあったんでしょう。僕自身は戦いたい気持ちを今でも持っているんですが。
テリー いろいろ叩かれたかもしれないけど、ちゃんとした人生を歩んでなかったら、今この対談で見せてくれているようないい表情はできないと思うんだよ。
清原 いや、今回のゴシップはバット1本で消すことができないので。3月からずっと‥‥そして離婚したのが9月ぐらいやったかな? あの報道以来、女房・子供が(家から)出ていきましたんで。
テリー 今は一人暮らし?洗濯とかどうしてるの?
清原 いや、もうたまり放題たまって、もう着るもんなくなってやっと洗濯する、みたいな。だから洗濯物がたまった時に詰め込みすぎて、乾燥機が壊れました(笑)。
テリー アハハハハ。おもしろすぎるじゃないですか、清原さん。じゃあ、食事とかはどうしてるんですか?
清原 さっきの新宿のお店かコンビニでしたね。盛り場はもう全然。
テリー この10カ月ぐらい、どんな思いで過ごしていたんですか。
清原 この人生の中で‥‥18歳からプロに入って23年間流した涙の量よりも、今年1年間で流した涙のほうが多かったですね。巨人にああいう形でクビを宣告された時に神宮の並木通りに車を止めて、2時間ぐらい涙流しましたけど、そういうこと全部合わせてでも、今年1年で流した涙の量が多かったです。
テリー そういう清原さんの優しさ、繊細さ、ナイーブな部分って、世の中の人には伝わっていないですね。
清原 僕自身、弱い人間というのは自覚してるんですよ。だから「コワモテ」の部分を自分で作って、「もうここから先は入ってこないでくれ」と。巨人に入って、マスコミがワーッと来る時にそういうバリアを張って自分自身を守るために必死だったので。だからああいう態度を取って、マスコミに叩かれても、それはしょうがないと自分でも思ってました。
●ゲスト:清原和博(きよはら・かずひろ) 1967年生まれ、大阪府出身。83年夏、PL学園の1年生にして4番を打ち、5期連続で甲子園に出場し、史上最多の13本の本塁打を放つ。85年、ドラフト1位で西武に指名され入団。86年、打率3割4厘、本塁打31本、打点78で最優秀新人賞を獲得。96年にはFA宣言で読売巨人軍に移籍。05年にオリックスに入団し、サヨナラ安打およびサヨナラ本塁打歴代トップに立つ。08年シーズンをもって現役を引退、現在に至る。