プロスポーツ選手の中ではトップクラスの高給取りである、サッカー選手。欧州のビッグクラブで活躍すれば、年俸は数十億円にもなる。だが、Jリーグ発足前の収入は残念なものだった。
前園真聖氏のYouTubeチャンネルに出演した小倉隆史氏と山口貴之氏が、プロになった当初の給与事情を明らかにした。
同じ1973年生まれの3人だが、プロ契約は山口氏が少しだけ早い。山口氏が所属していた読売クラブはプロチームであり、Jリーグがスタートする前にプロ契約を結んだからだ。しかしその額は低く、
「Jリーグができる前までの給料は、みんな安かった。高卒で中村忠とか阿部良則が月10万円ぐらい。都並敏史さんなんかの時代は、額を書いた紙を見せられたら、24万円て書いてあったんだって。そこで『月にこんなもらえんるですか』って聞いたら、年間だったらしいよ(笑)」
ケタが違うのでは…と思わず口にしたくなる数字である。これには小倉氏と前園氏が「嘘でしょ」と驚愕。そりゃ、そうだろう。都並氏は読売クラブの下部組織出身の生え抜きであり、日本代表では不動の左サイドバックとして活躍した。そんな選手が年収24万円だったというのだから…。
山口氏はさらに「その後の給与事情」もぶっちゃけた。
「Jリーグ開幕1年前の1992年、給料がガーンと上がった年だった。トップの三浦知良さんが1億超えて2億とか、みんな億もらえるようになった。すると下も上がるじゃない。俺の1年目の給料が月55万円だから。俺はすごくラッキーな年だった」
こうして初任給の額に胸を張る山口氏だったが、前園氏と小倉氏は何の反応もなく、ピンときていない様子。Jリーグのスタート時から取材するサッカージャーナリストが、その事情を解説する。
「山口氏にしてみれば、ほぼ試合に出ていない新人の給与として、月55万円は十分に高いと考えたのでしょう。しかし、前園氏と小倉氏は1年目でもっともらっていたので、微妙な反応になった。前園氏は以前の配信で、横浜フリューゲルスに入団した直後にマツダのスポーツカーを購入し、東京・港区にマンションを借りたと明かしています。山口氏の倍以上はもらっていたことでしょう」
それでもプロ野球に比べれば、サッカー選手の給与はかなり見劣りするのである。
(鈴木誠)