話は昨年10月に遡る。
「2年連続で3位となった広島はCSに進出しましたが、その直前に野村謙二郎監督(48)が辞任を発表しました。これから決戦に臨もうという時に、発表する必要があったでしょうか。表向きは監督に花道を飾らせようと、菊池涼介(24)、丸佳浩(25)、堂林翔太(23)、會澤翼(26)といった“野村チルドレン”を鼓舞する目的のように見えました。しかし、早期の監督辞任発表の真の目的は、黒田に対する受け入れ態勢のアピールだったんですよ。ちょうどヤンキースもプレーオフ進出を逃し、黒田も去就を考える時期だった。『野村監督はいなくなるから、帰ってこいよ』とね」(球団関係者)
野村前監督の退任がなぜ黒田の日本復帰につながるのか──。
実は、黒田が広島に戻るのをためらわせていた障壁が、なんと野村前監督だったというのである。そればかりか、先の球団関係者はこう続けるのだ。
「黒田の復帰機運は、その1年前にも高まっていたんです。現在は解説者となった前田智徳氏(43)が13年に引退しましたよね。並行して、極度のプレッシャーなどで疲弊していた野村監督も一度は『限界です』と漏らしていた。この“2人の障壁”がなくなることで、黒田の復帰が具体的に進んでいたんです。ところが、監督の後ろ盾となる松田元オーナー(63)から『何を甘ったれたことを言ってんだ』と叱責されて残留となった。結果的に、黒田もヤンキース残留となったんです」
つまりは前田氏も黒田に二の足を踏ませる存在であり、“天敵”だったというのだ。
黒田はメジャー4年目以降、常に1年契約を結んできた。もちろん、本人が語るように「複数年契約で甘えたくない」という気持ちもあっただろう。とはいえ、近年はずっと野村前監督と前田氏がチームから一掃されるタイミングを計るために単年契約を望んでいたようにも見えるのだ。では、なぜ2人が障壁だったのか。元広島番記者が言う。
「野村監督は現役時代から自分に厳しい一方で、他人にはもっと厳しかった。自分自身も若手の頃にこなしてきた自負があるからなのでしょうが、ある意味では広島野球の伝統とも言える根性論を後輩に対して押しつけるのがすごかったんです。投手、野手の見境なくチームリーダーを気取っていたため、自分が走れば『お前らも走れ!』と始まる。ミスすれば、半ばいじめに近い理不尽な“罰走”を科して統制することもありました。黒田は納得がいかなければ、相手に意見をしっかり言うタイプですから衝突は当然でした」
黒田はたゆまぬ努力をしてメジャーでも通用するスター選手となった。特に下半身の体幹を鍛えるトレーニングには一家言あり、だからこそメジャーの硬いマウンドでもピッチングスタイルが崩れなかった。
「アマチュア時代からハードな状況は経験してきた。そのうえ目的意識を持って練習をしてきただけに、プロに入ってまで上から押さえつける不毛な指令にはうんざりだったのでしょう」(スポーツ紙デスク)
一方の前田も若手に対する厳しさでは評判だった。だが、それ以上に人を寄せつけない威圧感が黒田にとって苦手だったのだという。あのイチローが尊敬した打撃技術は文句なしに超一流で、アキレス腱断裂という悲運のドラマも手伝ってファンからの支持も絶大な前田だったが‥‥。
「そのうえ、引退を引き延ばされるほど松田オーナーからも寵愛されただけに、誰も意見を言えなかった。晩年こそ堂林をかわいがったりしましたが、黒田とは対照的に若手の面倒を見るというタイプでもなかった。そのため、ベンチで幅をきかせていると、低迷期には、よけいチームの雰囲気を悪くしていたことを黒田は気にしていたんです」(元広島番記者)
ところで、今季は黒田のみならず、前阪神の新井貴浩(37)も広島に戻ってきた。新井の復帰が黒田の決断を後押ししたという声まであるほどだ。
「実は黒田と新井はかつてチームを再建しようと、どうやったらチームを強くできるか真剣に意見を交換していた仲なんです。その一案として、生まれ変わる意味で球団に選手の刷新を申し出たことがあったといいます。それが野村監督や前田の一掃だったと‥‥」(球団関係者)