パリ五輪が開催されたことで、アトランタ五輪(1996年)のサッカー代表選手がYouTubeで当時の思い出を振り返る機会が増えた。前園真聖氏のYouTubeチャンネルに出演したのは、廣長優志氏。そこで衝撃の事実を明らかにしたのである。
それはアトランタ五輪の3年前、廣長氏が高校3年生の時。桐蔭学園がドイツで行われた国際大会で優勝し、廣長氏は得点王とMVPを獲得した。すると同大会に出場していたドイツ・ブンデスリーガのシュトゥットガルトから、獲得オファーが届いたという。
夏になり進路相談が行われ、李国秀監督からシュトゥットガルトのオファーをどうするのか聞かれたという。廣長氏が振り返る。
「実家に帰って親と相談しろと。行くに決まってる。中学から(家から)出している親だから。もちろん僕もいきたい。(数日後に)李監督にドイツに行きたいと言ったら、なんと言ったと思う? 『ヴェルディ決まったから』。はぁ?みたいな」
なんとシュトゥットガルトではなく、ヴェルディ川崎(当時)にすでに決まったと知らされたというのである。
これを聞いた前園氏は複雑な表情を見せながら、
「う〜ん、なるほど。もう決まっていたんだ」
今では考えられないが、当時は普通だったとして、前園氏はこう話すのだった。
「高校の監督とチームとのつながりが強かった。今だといろんな選択肢がある。強豪校は代理人とかではなく、まず監督に連絡が来て、監督が窓口になる」
そんな事情があり、廣長氏はヴェルディに行くしかなかったのである。
「ヴェルディだからまだよかった。日本一の人気、一番のチームだから、ヴェルディしかない。でも、ドイツに行きたいよ。もちろん。うっすら(とした記憶)だけど、年俸2000万円だった。行ってたらどうなってるかわからない。ヴェルディでの経験はなかったし、オリンピックもなかったかもしれない。(周囲から)言われたのが、オリンピックがあるし、Jリーグでプレーしてるのを見ないとわからないから。そんな言い訳みたいのもあり、ドイツに行かなかった」
中田英寿が海を渡ったのが1998年。そのはるか前の1993年に欧州リーグへ挑戦となれば、日本サッカーの歴史を変える大きな出来事になっていたはずだ。廣長氏はどうにも心残りがあるようで、
「ドイツに行きたかった。ちょっと俺は違う、というのを見せたかった」
日本のサッカーファンにとっても、無念でならない。
(鈴木誠)