70年代を代表する2大女性スーパーアイドルグループのメンバーの邂逅に、かつてのファンが胸をこれ以上ないほど熱くした。
ピンク・レディーの未唯mieが自身のインスタグラムを更新し、元キャンディーズの伊藤蘭のコンサートに行ったことを明かしたのだ。
9月20日、未唯mieは「昨日は大宮ソニックシティ大ホールで行われました蘭さんのコンサートに行って来ました~」と報告したわけだが、その後にバックステージに案内され、サプライズで伊藤を出迎えた画像や、未唯mieが贈った花の前での伊藤とのショットを掲載した。そして「いつまでも大好きな先輩です」と、伊藤への思いを書き綴ったのだった。
70年代に青春時代を過ごした人たちが圧倒的に憧れた2人のスーパーアイドルのこの顔合わせに、当時のファン世代が盛り上がったのは当然だ。
しかし、70年代ならではの人気アイドルの〝交差〟について感慨深く話すのは、ベテランのエンタメ誌ライターだ。
「キャンディーズの伊藤とピンク・レディーの未唯mieが交流を続けている様子は感慨深いです。ですが、両グループがともにトップアイドルとして君臨していたのは、実は76年から78年にかけてのわずか1年半ほどの短い期間でしたから、その一瞬がいかに日本中をヒートアップさせていたかが改めてわかります」
1973年9月にシングル「あなたに夢中」でデビューしたキャンディーズだったが、実際に売れるまでには時間がかかっている。
「シングルが初めてオリコンチャートでベスト10入りしたのは、デビューから1年半ほど経った75年2月の5枚目のシングル『年下の男の子』でのこと。4枚目まではスー(田中好子)がセンターでしたが、この曲からセンターがラン(伊藤)に代わっています。以降、センターはほぼ伊藤が務めるのですが、人気面では76年8月に『ペッパー警部』でデビューしたピンク・レディーにあっという間に抜き去られてしまいます」(前出・エンタメ誌ライター)
ピンク・レディーはセカンドシングル「S・O・S」から10枚目の「カメレオン・アーミー」まで9作連続でオリコン1位を記録し、うち5枚がミリオン突破という金字塔を打ち立てた。一方で、キャンディーズ人気がピンク・レディーに追いついたのが、解散を発表した77年7月以降だったのは、芸能史の1つの事件ともいえる。
「当初、メンバーは77年9月に解散するつもりでしたが、所属事務所の説得により約半年、延期しています。これが功を奏したわけです。その後の歌謡界を盛り上げた『ザ・ベストテン』(TBS系)がスタートしたのが78年1月19日でした。初回は1位がピンク・レディーの『UFO』で、2位がキャンディーズの『わな』。もし、前年に解散していたらその日のランキングは存在しなかった。以降、両者が番組の黎明期を支え、キャンディーズの実質的なラストシングルである『微笑がえし』が7週1位を獲得したのに対し、1カ月遅れでリリースされたピンク・レディーの『サウスポー』の1位は3週と、オリコンのセールスとは逆転現象が起きました。あのお化け番組のスタート時期とそうしたセールスだけに頼らないランキングのイメージが、キャンディーズがピンク・レディーにまったく引けを取らないアイドルだと人々に印象付けたことは間違いありません」(前出・エンタメ誌ライター)
伝説は必然と偶然によって作られるということか。
どちらにせよ全盛期から45年以上経った今でも、こうしてかつての胸をときめかせるスーパーアイドルには最敬礼しかない。
(石見剣)