世界にはその存在が意図的に伏せられ「地図に載せられていない」町や村が存在する。ドラマや映画などで描かれる「全村人惨殺事件」や「悪霊の祟り」といったものではなく、軍事機密施設である場合が大半だ。
かつて太平洋戦争中、日本にも瀬戸内海に面した広島県竹原市に、極秘の毒ガス兵器製造拠点とされる大久野島という島があった(現在、ここには毒ガス資料館がある)。だが、それをはるかに上回る規模で、かつてのソビエト連邦が細菌兵器実験場として使用していたのが、中央アジアのアラル海に浮かぶヴォズロジデニヤ島だった。
この島に口蹄疫研究所が創設されたのは1930年代初頭。当初は口蹄疫に関するワクチン開発が行われていたが、1937年に細菌兵器研究所が移設された後は、生物兵器の極秘研究が行われるようになったという。
そして、スターリン政権下の1954年、のちに悪名を轟かせることになる「アラルスク7」という生物兵器実験場の稼働が本格的にスタートする。歴史研究家の話を聞こう。
「この島での細菌兵器開発はソ連が崩壊する1992年まで続き、炭疽菌や天然痘、ボツリヌス菌、ブルセラ症、ペストなど、40種類以上にものぼる病原体の実験がなされたといわれます。実験に使われたのは数々の動物ですが、1970年代に菌を摂取したサルが逃げ出し、多くの住民が感染。家畜が大量死したり、付近の海域で漁をしていた漁民や海軍兵士が突然、高熱を出したり。全身にできた発疹から血が吹き出すなどして、死亡者が続出しました。その後、この施設から流れ出した天然痘ウイルスによるものだと判明したものの、軍部によって被害状況は隠蔽され、島自体が『この世に存在しない』ことにされてしまった」
そんな「バイオハザードの島」は、1992年のソ連崩壊とともに閉鎖。ところがその後も周辺海域では、同様の被害がたびたび発生した。そこで10年後の2002年、当時この島を領有していたウズベキスタン政府が、アメリカ政府に処理を依頼することになった。
「というのも、この島には当時1500人を超える研究施設関係者が暮らしていたのですが、ソ連崩壊で研究者らが実験場にあった炭疽菌やペスト菌などのウイルスをそのまま地中に埋め、島を離れたというんです。そこでアメリカの生化学技術者が率いる113人の処理チームが、菌を除去するためにヴォズロジデニヤ島に向かいました」(前出・歴史研究家)
処理チームは約3カ月をかけて100から200トンの炭疽菌を中和したものの、すべてを取り除くことはできず、多くの病原菌が今も未処理のまま残されているといわれている。
一説によれば、テロリストや犯罪集団が、放棄された生物兵器を掘り起こし、生成して売買しているといった都市伝説があるが、真偽は定かではない。ただ、現在は陸続きとなった「バイオハザードの島」周辺に、今も大量の病原菌が地下に眠っていることは間違いない。
(ジョン・ドゥ)