下部組織出身の宇賀神友弥は、浦和レッズのレジェンドのひとりに数えられる。2010年にトップチームに加入し、11年にわたって浦和でプレー。2022年にFC岐阜に移籍したが、今年また浦和への復帰を果たし、活躍を続けている。
しかし宇賀神は、あるきっかけがなければプロになっていなかったと、鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルで明らかにしたのである。
埼玉県戸田市の小学生チームでサッカーを始めた宇賀神は、チームの中心選手として頭角を現し、中学生からは浦和レッズのジュニアユースに所属。ジュニアユース時代はチームメイトのレベルの高さに圧倒されて埋もれたが、なんとかユースへと昇格する。ここでもライバルにポジションを奪われ、目立った選手ではなかった。
そのため、トップチームに上がることはできず、他のクラブから声もかからない。大学進学を目指したのだが、経済的理由で親から反対されたと、宇賀神は苦しい時期を振り返った。
「流通経済大学のセレクションを受けて、受かったみたいな。親に『今、サッカーを辞めたら絶対後悔する』とお願いして(行かせてもらった)」
こうして大学に進学したが、実力不足から1年生の時は4軍暮らし。「4年生の時にトップチームか2軍にいなかったらプロにはなれない」と言われる中で、2年生時には3軍に。4年生でようやくトップチームに入ったが、やはりプロチームから声はかからなかった。ところが夏に、古巣・浦和の練習に参加するチャンスを得る。
「『やれたな』という感覚があった中で練習が終わり、帰ろうとしたらスカウトの人に『監督が呼んでるから監督室に行って』と。大学にとって『監督が呼んでる』はヤバイんですよ。怒られるしかない。でも監督室に行ったら『お前は絶対、すごい選手になるから今すぐ契約しろ。俺と一緒にやろう。他のチームには行かせない』と言われた」
この1日でプロ契約を勝ち取り、人生が一変したのである。
宇賀神を欲しがった監督は、フォルカー・フィンケ。2009年から2年間、浦和を率いたが結果は出せず、監督に起用したのは失敗だったとされる。しかし、宇賀神を獲得するという功績を残していたとは…。何よりも宇賀神本人が驚いたのだから。
(鈴木誠)