1989年に日本に帰化し、サッカー日本代表選手として活躍したラモス瑠偉氏。呂比須ワグナーや三都主アレサンドロ、田中マルクス闘莉王など、日本代表入りのために帰化した選手は多く、ラモス氏も日の丸を付けて活躍したとあって、代表のために帰化したと思っているファンは多い。ところが実際は違うのだと。本当の理由を、鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルで明らかにした。
帰化するきっかけとなったのは、読売クラブの特別コーチだった、ブラジル人のジノ・サニ。ジノ・サニはセンターフォワードだったラモス氏を、ボランチにコンバートした指導者だ。その時をラモス氏はこう振り返った。
「あの時もすごいケンカをした。今だから言えるけど、1点取ると5万円もらえた。だから『点取れば5万円もらえるんだから、ボランチはアカンで』って。『1回だけやって』と言われたのを今でも覚えている。国士舘大学との練習試合で(ボランチをやって)いきなり視野が広がった。もともとDFだから、ボールを取るのは好きだった。展開が読めた。ここまで来られたのは、ボランチをやらせてくれたジノ・サニのおかげ」
そのジノ・サニの言葉で、ラモス氏は日本国籍取得を決意する。
「ジノ・サニが私のところに来て『お前の夢は何?』。一回ブラジルに行って、自分のプレーがどこまで通用するのか知りたい、と答えた。どこでも通用すると言われて、嬉しくて初音(ラモス夫人)と話してブラジルに行こうとしたけど、やっぱり一人娘の初音を連れてはいけない。翌日、ジノ・サニに、あなたが求めてくれるだけで幸せだと伝えたら『読売クラブのために帰化しなさい』と」
ラモス氏が帰化すれば、読売クラブは新たに外国籍の選手を獲得することができる。そのために帰化すべきだと、ジノ・サニが勧めてきたのだという。
お世話になった読売クラブのためならと、妻の反対を押し切って帰化を決意。しかし、そこから帰化するまでの1年間は、マスコミの激しいバッシングを受けた。
「日本のマスコミは『こいつを日本から追い出せ』という感じだった。それを読売クラブが守ってくれた。それは恩返しするでしょ。代表のために帰化するつもりはなかった。いちばん喜んでくれたのは松木(安太郎)」
結果的にラモス氏の帰化は、日本代表に大きな恩恵をもたらした。サポーターはジノ・サニに足を向けて寝ることはできないはずである。
(鈴木誠)