1996年のアトランタ五輪代表と2006年のW杯ロシア大会で指揮を執り、今や名将と呼ばれる西野朗監督の「名采配」を、元日本代表の安田理大が語っていた。
ガンバ大阪の先輩である橋本英郎氏のYouTubeチャンネルに出演した安田氏は、06年から10年まで所属したガンバ大阪での思い出を語った。スタメンを目指していた安田氏に対し、西野監督は07年のグァムキャンプ中にこう声を掛けたという。
「去年1年間頑張っているのを見てた。試合に出してチャンスをあげたいけど、今のガンバで与えるポジションがないのは見てわかるだろ。錚々たるメンバーがいて、唯一チャンスがあるとしたら左サイドバックだ」
安田氏は左サイドバックをやったことがなかったが、試合に出たかったので即決。すぐに左サイドバックで練習を始めたと話した。当初は慣れないポジションに苦戦。西野監督からは、
「とりあえず前にプレイしろ。周りにうまい選手がいるからミスしても大丈夫。お前の積極性を出してほしい」
とアドバイスを受けた。
間もなくして安田氏は左サイドバックに定着。日本代表に招集されるまでになった。西野監督に対して、
「あそこで左サイドバックをしてなかったら、その後のサッカー人生がどうなっていたかわからない。左をやったことで五輪に行けてA代表にも入れた。西野さんがコンバートしてくれたからプロで17年できたので、めちゃくちゃ感謝している。恩師みたいに思ってますよ」
と感謝の気持ちを述べた。
しかし、西野監督が左サイドバックをやるように声を掛けたのは安田氏だけではなかったことが明らかになる。橋本氏は、
「同じタイミングで西野監督から左サイドバックどうだって言われて。そこに回されたかっていう感覚が強かった。きついな、この先どうなっていくのかと不安になった」
つまり西野監督は安田氏に左サイドバックの適正があったらコンバートを勧めたわけではなく、ポジションが空いてしまったので何人かの選手に声を掛け、安田がそれに応えたというのが正解のようだ。
しかし、こうして見事にチャンスを掴んだ安田氏。その後の活躍はサッカーファンなら誰もが知るところだ。
(鈴木誠)