歓喜からわずか1年と少し、復活する予定だった名門・日産自動車野球部が、窮地に立たされている。
横須賀市を拠点とする日産自動車野球部は1959年に創部し、社会人最高峰の都市対抗野球で優勝2回を誇る名門。阪神の池田親興投手、オリックスの川越英隆投手、広島の梵英心内野手ら、多くのプロ選手を輩出してきた。
ところがバブル経済の崩壊後、会社の業績が悪化すると、休部が囁かれ始める。1999年に「コストカッター」の異名を取るカルロス・ゴーンが社長に就き、いよいよ部の歴史が終わりかと思われた。だが試合を観戦したゴーンは社会人野球を日本の文化の象徴であると絶賛し、野球部の存続を宣言した。
とはいえ、だ。2008年のリーマン・ショックを受けて野球部は休部し、50年の歴史に幕を下ろした。
もはや復活はないと思われていたが、昨年2月、日産自動車はルノーとのアライアンスを見直し、事実上の独立を勝ち取る。するとそれから半年、日産自動車は日産自動車野球部を2025年から、福岡県苅田町を拠点とする日産九州野球部を2024年から活動再開すると発表した。
クラブチームとして活動していた日産九州野球部はすでに活動を開始し、社会人野球日本選手権の九州地区最終予選を戦った。
日産自動車野球部はOBの伊藤祐樹氏が監督に就任し、今年8月にはユニフォームを発表。活動再開に向けて準備を重ねている。
しかしホンダとの経営統合で、復活は不透明になった。経営統合はホンダが主体となる。活動再開を取りやめる可能性は否定できない。日産自動車が主要株主のJリーグ横浜F・マリノスは、2024年シーズン終了後に主力選手を次々と放出し、早くも経営規模の縮小が噂されている。日産自動車野球部はどうなるのか。経済誌記者はこうみている。
「企業チームの運営費は、多くても年間3億円ほど。横浜F・マリノスの2023年度の人件費が30億4200万円で、それと比べればはるかに安価なので、活動を再開するのではないでしょうか。ホンダも野球部を持っていますが、合併することはさすがにない。都市対抗野球で伝統の青いユニフォームを見ることができるでしょう」
野球部が日産自動車復活の先達となってくれるに違いない。
(鈴木誠)