今から40年ほど前のことだ。筆者がまだ新人記者時代に、編集部にかかってきた1本の電話に、激しく驚いた経験がある。
ある日の午後、出社した直後だった。電話が鳴り、筆者が受話器を取った。すると相手は「菅原です」と名乗った。どことなく聞き覚えがある声だと思いつつ、「あの…どちらの菅原様でしょうか」と尋ねると、その相手はドスの利いた声で「菅原文太です」と。
その瞬間、あまりに驚いてイスから飛び上がった。間違いなくあの菅原文太の声であり、文太の口調であった。頭の中で「仁義なき戦い」のテーマ曲が流れた。
電話をしてきた目的は、出した記事に対する抗議だった。記事は菅原と隣家の間で、土地の境界線をめぐってトラブルになっている…というものだった。これについて菅原は「大きな誤解があります」「すでに法的に解決する方向です」などと丁寧な口調で説明してくれた。イメージとは大きく違い、冷静で紳士的だった。
とはいえ、あまり事情を知らない筆者は「そうですか」「なるほど」と相槌を打つしかなかった。
応対していてしばらくすると、記事を書いた本人が出社してきたため、事情を話し、そっと受話器を渡した。
菅原は個人事務所で俳優活動をしていた。それにしてもマネージャーなどではなく、本人が抗議してきたタレントは、あとにも先にも菅原だけだった。
今でこそタレントが個人事務所を立ち上げ、自身でマネージメントをしている事例は珍しくないが、もしかしたら菅原は時代の先をいっていたのかもしれない。
いつか菅原にインタビューしてこの時のことを話したかったが、残念ながらこの願いはかなわなかったのである。
(升田幸一)