大相撲初場所で5勝10敗と大きく負け越した琴桜。春場所は初のカド番で臨むことになるが、大丈夫か。相撲ライターが言う。
「初場所の琴桜は本当におかしかった。心ここにあらずで、目が泳いでいました。負け越すのは当然です。横綱審議委員会の稽古総見でもパッとせず、大丈夫かと心配していたんですが、案の定でした」
実は祖父の初代琴桜も決して強い大関、横綱ではなかった。相撲ライターが続ける。
「今でこそ八百長をやる力士はいなくなりましたが、40年前は『無気力相撲』と名前こそ違うものの、事実上の八百長が公然と行われていました」
無気力な相撲を取り締まるため、日本相撲協会が1971年12月に設けたのが監察委員である。そして監察委員が最初に問題にしたのが、翌年の春場所の前の山VS琴桜という大関同士の取り組みだったのだ。相撲協会関係者が解説する。
「前の山はこの場所カド番で、11日目まで5勝6敗。一方の琴桜は7勝4敗でした。問題の一番はぶちかましが得意の琴桜がふわっと立ち、前の山は形だけの突っ張りからもろ差しになり、寄り立てて下手投げで勝った。琴桜はほとんど無抵抗でした」
絵に描いたような無気力相撲だったというのだ。当然、両力士の師匠である高砂親方と佐渡獄親方は理事長に呼び出され、厳しく叱責された。
当時はこの2人に加え、清国、大麒麟という大関がいたが、「怪しい相撲」は4大関によって公然と行われていたのだ。前出の相撲ライターによれば、
「初場所の琴桜の相撲を見て、そんな祖父の相撲を思い出してしまいました。汚名返上のため、春場所は全力で取り組んでほしい」
それが力士の務めであるのは当然なのだが。
(蓮見茂)