サッカー日本代表のセンターバックとして122試合に出場し、「アジアの壁」と呼ばれた井原正巳氏が、ディフェンダーに転向した驚きの理由を明かしている。
井原氏は小学校3年生の時に、スポーツ少年団でサッカーを始めた。この時のポジションはフォワード。鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルで言うには、
「理由はわからなけど点を取るのが好きだったし、自然と最初から前線をやらされていた」
高校2年生の時に、高校サッカー選手権に出場。この時はトップ下で、やはり攻撃の選手だった。ディフェンダーに転向したのは大学1年生になってから。ユース代表の松本育夫監督にコンバートされたのだ。それは偶然だったのだと、井原氏は振り返った。
「(松本監督から)ディフェンスをやれと言われたのは、たまたまディフェンダーをやっていた選手がお腹が痛くなって、練習中にトイレに行った。そこでディフェンダーがいなくなって『じゃあ、井原やれ』って松本監督に言われて僕が入ったら『お前、いいじゃねえか』ってなって、そこからディフェンスになった。あの選手がトイレに行かなければ、僕のディフェンスはなかった」
そう断言するのだった。
なんとも偶然の経緯でポジション変更となったが、
「ディフェンスはすごく楽しくて。FWをやっていたからこそ、相手はこうするんじゃないか、とか読みにつながる。ボールを奪った時の快感とか、ディフェンダーの面白さを感じながらセンターバックをやっていた。すごく面白いポジションで、ディフェンスでも生きていけるかも、と思った」
今となっては、コンバートに感謝しているというのだ。もし井原氏が転向していなければ、日本代表が1998年W杯フランス大会には出場できなかったかもしれない。松本監督の「慧眼」に感謝するばかりなのである。
(鈴木誠)