なんと! 大女優・泉ピン子が最新著書「終活やーめた。」を引っ提げて当対談にやってきた。ドラマとバラエティーで活躍するフィールドは違っても同年代の天才テリーとは懇意の仲。会うなり現場のボルテージは急上昇! 思い出話から終活まで縦横無尽にトークが炸裂した。
ピン子 オシャレね、相変わらず。
テリー いやいや、ピン子ちゃんこそ。今日の服は何? 可愛いじゃない。
ピン子 これね、米倉(涼子)が送ってきたの。
テリー あ、そうなんだ。米倉さんのグッズか何か?背中に大きく文字が書いてある。
ピン子 スペイン語だって言ってたわね。白と黒を送ってきてくれた。誰かがテレビで着てたのを見たのよ。だから、「アンタ、あの人にあげて、私にくれないのはないんじゃない?」って電話入れたら、「もう(サイズが)一番大きいのしかないんですけど」って。
テリー うわぁ、イヤな友達だな(笑)。脅迫じゃない、それ。
ピン子 うん、「それでもいいから送って。私失敗しないから」って言って(笑)。
テリー アハハハハ。
ピン子 「もうないんです」って言ってたから自分用のを送ってきてくれたのかもね。でも、知らないわ、もらっちゃったんだもん(笑)。
テリー そりゃそうだ。
ピン子 ところで、いくつになったの?
テリー 75歳です。ピン子ちゃんよりも2つ下。
ピン子 一緒よ、もう。この年になったら。
テリー そうですよね。
ピン子 それで今日は伊藤さんに謝らなきゃいけないことがひとつあります。
テリー 何ですか。
ピン子 もうずいぶん昔の話だけど、大晦日の生放送でヘビが出てきて、怒って「帰る」って言ったことがある。
テリー ん‥‥? ああ。大蛇を出した時。
ピン子 そう。前の年にもヘビを出して、視聴率よかったんですよね。だから、「それがおもしろかったからって、次の年も同じことやるバカいるか!」って怒鳴って。そしたら伊藤さんと海老名のお母さん(海老名香葉子)に「帰っちゃダメ。スタジオに戻らなきゃ」って言われてね。あの時はごめんなさい。あれは若気の至り。
テリー そうか、そんなことあったなぁ。すっかり忘れてましたよ。でも、今回の本を読んでも思ったけど、ピン子ちゃんは記憶力いいよね。全部細かく覚えてる。
ピン子 やっぱり伊藤さんに会ったら謝らなきゃってずっと思ってたから。
テリー この「終活やーめた。」は、どうしてこういうタイトルになったんですか?
ピン子 橋田(壽賀子)先生が亡くなった時に身辺整理をしようと思ったんですよ。衣装とかバッグとか宝石とか、とにかくモノがたくさんあるから、これを何とかしようと。それで手放す前に映像に残すのもいいかと思ってテレビの取材を受けたんですよ。
テリー なるほど。
ピン子 そうしたら「手放すならタダでください」「それを売って借金を返して楽になりたいです」とか、もう本当にたくさんの手紙が来たの。
テリー 視聴者から?
ピン子 そう。だから「お前、働けよ」と思って。だってさ、私は寝ないで働いて買ったのに、「何でそれをタダであげなきゃいけないの」と思って。その後も終活の取材依頼がいっぱい来たんだけど、「やーめた」って言って、私が好きな人にほとんど持って行ってもらっちゃった。
テリー タダで?
ピン子 もちろん。
テリー 俺も熱海まで行けばよかったな。失敗した。もう残ってないの?
ピン子 いいモノは、もうほとんど残ってないね。
ゲスト:泉ピン子(いずみ・ぴんこ)1947年、東京都生まれ。日本音楽高等学校中退後の1966年、牧伸二に師事し、三門マリ子の芸名で歌謡漫談家デビュー。1975年、「テレビ三面記事 ウィークエンダー」(日本テレビ系)のリポーターに抜擢され、芸名を「泉ピン子」へ。同年、映画「神戸国際ギャング」に出演、女優業に進出。1980年、「手ごろな女」(日本テレビ系)でドラマ初主演。以降、多くのドラマに出演し、1983年の「おしん」(NHK)の母親役で高い評価を得る。同作の脚本を担当した橋田壽賀子にも高く評価され、以降は橋田作品に数多く出演。TBS系ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」は約30年続く長寿シリーズとなった。著書「終活やーめた。元祖バッシングの女王の『ピンチを福に転じる』思考法」(講談社)発売中。