テリー ピン子ちゃん、今熱海に住んでるでしょう?厄介な77歳だよね。もうね、俺だったらピン子ちゃんが隣に引っ越してきたら逃げ出しちゃう。
ピン子 でも、静かなのよ。私、テレビが趣味でしょ。ネットフリックス、アマゾンプライム、ユーネクスト、ディズニープラス、全部入ってるから。
テリー あと、本にも写真が載ってたけど、料理もね。
ピン子 そう。結構上手なの。
テリー ご主人は今、週に何回ぐらい熱海に戻ってくるの?
ピン子 土曜日だけ。
テリー いい関係だよね。
ピン子 いや、70歳になった時に「そうしなさい」って言ったの。だってさ、それまで5時に起きて6時半の電車に乗って(医師として勤める病院がある)東京へ行くのよ。私だって毎日そんなロケがあったらイヤだもの。だから、私も東京へ行った時に使うマンションがあるから、「そこを使えば?」って。
テリー ふーん。
ピン子 それでコロナが明けて、青山のマンションを売っちゃったの。だってさ、前も横もビルで、空気が悪いの。熱海はものすごく空気いいし。
テリー 家の前は海?
ピン子 海です。何も建ってないし。私、橋田先生に「あんな墓地みたいなマンション嫌いだわ」って言ったんだけど、まさかそのマンションに住むと思わなかった(笑)。
テリー じゃあ、熱海に一人でいる時はテレビ見てることが多いんだ。
ピン子 それしかないのよ。日本の作品を見て思うんだけど、知ってる人が誰も出てないじゃない。私たちは女優としてトップの看板を取るために頑張った。周りにはキラ星のごとく大女優がいましたよ。それ、蹴落としていかなきゃならないんだからさ。
テリー そうだよね。
ピン子 だけど、今は蹴落とさなくても自然に消えていくような人ばっかりじゃない、悪いけど。だってさ、みんな同じような感じのタイプの方ばっかりでしょう。誰が誰だか全然わからない。それだったらネットフリックスよね。
テリー だから今、泉ピン子みたいな爆弾女がいないんだよね。
ピン子 アハハハハハ。
テリー 厄介なのがいないんですよ。
ピン子 だって私は杉村(春子)先生に習ったから。「スタートラインは一緒だから、その子を育てるためには言わなきゃダメ」って。私なんか「違うわよ!」って、もう散々やられてきたわけだから。
テリー 厳しかったんだ。
ピン子 厳しかった、子役にも。でも、今はそういう人、いないじゃない。
テリー 大きな声を出す人がいないもんね。
ピン子 もう私も言いませんよ。ハッキリ言って、その人がどうなろうと関係ないもの。何か言えば、またネットで悪口書かれたりさ。
テリー ピン子ちゃんって、すぐ悪口書かれちゃうよね。最近はあんまり書かれてないみたいだけど。
ピン子 利口になったから言わないだけよ。SNSも見ないし。ユーチューブも嫌いだから。「あんなもんで金稼ぐな」と思うからさ。「ちゃんと正統なもんで金稼げ」と思ってるから見ない。
テリー そうか(笑)。
ピン子 だから、私がちょっとでもテレビやラジオに出たりすると記者の人がすごい見るらしいよ。「何かおもしろいこと言うんじゃないか」って。
テリー みんな地雷を踏んでほしいんですよ。「ピン子踏め!」って。
ピン子 そうそう(笑)。でもね、この年になってきたらそうそうは踏まない。避ける。
テリー その術を覚えた?
ピン子 覚えた。今度生まれ変わったら、いい子になるもん。どんな記者の人にも、「ありがとうございます」って言って。そのかわり売れないと思うね(笑)。
ゲスト:泉ピン子(いずみ・ぴんこ)1947年、東京都生まれ。日本音楽高等学校中退後の1966年、牧伸二に師事し、三門マリ子の芸名で歌謡漫談家デビュー。1975年、「テレビ三面記事 ウィークエンダー」(日本テレビ系)のリポーターに抜擢され、芸名を「泉ピン子」へ。同年、映画「神戸国際ギャング」に出演、女優業に進出。1980年、「手ごろな女」(日本テレビ系)でドラマ初主演。以降、多くのドラマに出演し、1983年の「おしん」(NHK)の母親役で高い評価を得る。同作の脚本を担当した橋田壽賀子にも高く評価され、以降は橋田作品に数多く出演。TBS系ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」は約30年続く長寿シリーズとなった。著書「終活やーめた。元祖バッシングの女王の『ピンチを福に転じる』思考法」(講談社)発売中。