猪木の師であり、54年12月22日に力道山vs木村政彦という「昭和の巌流島対決」を演出した力道山は、ガチンコ勝負においても開祖となった。以来、プロレスは「八百長と真剣勝負の狭間」で揺れ動くジャンルとなっていく。
古参のプロレス評論家である門馬忠雄氏が言う。
「ガチンコかどうかには興味はないんだが、取材していると“得体の知れない強さ”を感じるレスラーはいるね。柔道の金メダリストだったウイリアム・ルスカや、人間台風と呼ばれたドン・レオ・ジョナサンは横綱級。さらに“規格外”といえばアンドレ・ザ・ジャイアントだな」
同じ力道山の門下生でも、ジャイアント馬場にはシュートのイメージは薄い。だが実際は、かなりの腕前だったとターザン氏は言う。
「馬場さんのアメリカでのコーチであるフレッド・アトキンスは、全米きっての『シュートの鬼』と恐れられた人物。馬場さんがアメリカでトップになれたのも、根底にセメントの強さを持っていたから。若い頃は1度に5人のそっち系の輩をぶちのめしたって豪語していました」
究極の一戦は、本誌先週号でも取り上げた83年3月3日、後楽園ホールでのジャイアント馬場vs上田馬之助であろう。温厚な馬場が、上田の左腕を脱臼させるほどのキラーぶりを見せている。
さて、80年代に最も危険な匂いを発散させていたのは前田日明だろう。新日本でデビューし、第1次UWFを経て新日にUターンした頃は、アンドレ・ザ・ジャイアントや長州力を相手に、物議を醸す試合が続いた。