さらに隠れた一戦があると言うのは、お笑い芸人きっての観戦歴を誇るユリオカ超特Qだ。
「僕の地元である兵庫・豊岡市民体育館で目撃しました。86年1月14日のことです。テレビ中継もなければ、プロレス誌も取材に来ないような、小さな大会ですよ」
タッグではあったが、前田日明vs星野勘太郎の2人に“異変”が起こったという。星野は日本プロレスでデビューしたベテランだが、小兵ながら気性の激しさでも知られた。
「試合が始まっても2人は、プロレスとしてまったく組み合おうとしない。パンチだけを繰り返し、前田は顔を突き出して『殴ってみろよ』と挑発。会場にいた僕らは、何が起こっているかわからず、シーンとしちゃいましたね。終了後にも収まらない星野は、『ぶっ殺してやる』と言いながら前田の控え室まで乱入していました」(ユリオカ超特Q)
こうした“激動の80年代”に新日本の門をくぐったのが、のちにジャパンプロレスやSWSでも活躍した新倉史祐氏である。道場には山本小鉄という鬼軍曹がおり、鬼も逃げ出すと恐れられていた。
「猪木さんが好きだったこともあって、ほとんどの時間をシュートの練習に充てていた。例えば、スパーリングで指をダランとさせていると、すかさず逆に折り曲げるといった技です」
こうした緊迫感は、試合にも反映されていく‥‥。
新倉氏が若手時代に目の当たりにしたのは、83年のキラー・カンvs藤原喜明のガチンコマッチ。アメリカ帰りのトップレスラーであるカンに対し、当時は前座レスラーにすぎなかった藤原が仕掛けた。
「小澤正志さん(キラー・カンの本名)がリングインする時の階段を、藤原さんがシャレで逆さに設置したんですよ。そのことで烈火のごとく怒られたけど、もともと藤原さんは人を見下す小澤さんをよく思っていなかった」(新倉氏)
くしくもその翌日、2人のシングルマッチが組まれた。試合前の藤原は会場のカーテンをサンドバッグ状に丸め、パンチを打ち込む練習をしている。新倉氏は「やるんだな」と思った。
「始まったらすぐに藤原さんは左右のパンチを繰り出す。ところが、小澤さんは頑丈だし、当たりどころが悪かったのか、藤原さんの手の甲にヒビが入っていました」
さらに新倉氏は、あの人の「気合いだ、気合いだ~!」が空転した試合も目撃している。84年3月2日、綾瀬市立体育館でタッグ戦ながらアニマル浜口vsディック・マードックが対峙した瞬間のこと。
「浜口さんがものすごい勢いでマードックに突進していった。当時のマードックは外国人レスラーのボス的存在ですから、プライドが許さずプツンと切れた。浜口さんがへたり込むほどボディブローや膝蹴りを食らわせていましたよ」