先にも触れたように、長州はプロレス入りしてすぐに頭角を現したわけではない。ブレイクするまでには、2度の国外遠征を経て、8年もの月日がかかった。
82年10月8日、後楽園ホールでアントニオ猪木、藤波辰巳と組んだ長州は、試合中から年下の先輩であり、叩き上げのスター・藤波を過剰に意識し、パートナーであるにもかかわらず小競り合いを展開。格下扱いを不満に思ってきた感情をぶつけ、試合後にも「お前を叩き潰す」と叫んで決起したのだ。
長州の人生を変えたとも言える、俗に言う「かませ犬事件」には黒幕がいたようである。田崎氏に仲間割れを仕組んだ人間を問われ、長州はこう答えている。
「仕組んだというのは‥‥アントニオ猪木でしょうね。うん、仕組んだとしたら」
猪木は遠征先のメキシコから帰国した長州に「このままでいたら、このままで終わる」という内容の檄を飛ばし、藤波に対する感情を爆発させるようたきつけたのだという。長州はこうも話している。
「闘いというのは、コントロールできる闘いと、できない闘いがあるんですよ。後楽園では自分でもあんな感情があるというのは、驚いていた。“あー、俺は今、カミングアウトしている、自分(の素の姿)と違うな”という感触はありましたね。猪木さんもここまで出るとは思っていなかった」
藤波は、この展開を事前には知らなかったと口にした。同著では、猪木が藤波には伝えないことで、手探りの長州と、まったく事情を知らない藤波のかみ合わせが緊迫感を生んだのではないかとしている。
トップレスラーに上り詰めた長州はその後、83年にジャパンプロレス、02年にWJと、2度にわたって新日本を飛び出し、敵対する団体を作った。しかし、いずれも最終的にはまだ猪木のいた新日本に戻っているのだ。田崎氏が明かす。
「取材の最後に近づくと、猪木さんの話が多くなりましたね。初めて会った時から猪木さんのことをかっこいいと思っていたと。『タイガーも藤波さんも坂口さんもみんな、猪木さんの手のひらの上で踊ってる』と話し、いまだに猪木さんにはかなわないという口ぶりでした」
ところで、長州はWJ旗揚げ時に「プロレス界のど真ん中を行く」と宣言していたが、その真意を田崎氏に聞かれ、
「自分の韓国人の血。幼少の頃のひけめみたいなのがある。端を歩いていたというかな。子供時代に言えなかったんです。ど真ん中を歩くぞと」
こう吐露した。
現在の長州は、3人の娘が全員、日本国籍を選んだことが大きいようで、日本への帰化申請を行っているという。
これから先は、いったいどんな形で「ど真ん中」を突き進むのだろうか。