レッドブル・角田裕毅はF1日本GP決勝で12位に終わった。レース前、Xでは「角田は大谷翔平よりもスゴイ」という「角田アゲ」が拡散していたが、結果的に「ノーポイント」に終わった。
「もっと上で予選を通過していれば当然、もっと上の順位でフィニッシュしていたと思う」
角田はそう語り、15位で終わった予選を悔やんだが、1位の同僚マックス・フェルスタッペンから10位のハース・ベアマンまで、トップ10は全て予選と決勝の順位が同一で、下位からの逆転はほぼ不可能な状況だった。
レースの舞台となった三重県鈴鹿サーキットは、1962年に建設されたかなり古い規格のため、幅員は10メートルから15メートルしかなく、現代の大型化したF1マシンでは並走するのも困難なほどだ。レースの見どころのひとつであるオーバーテイクがほとんど見られないレース展開に「worst circuit ever(史上最悪のサーキット)」のコメントが相次いだ。
日本でのF1人気の始まりは、1983年からホンダがF1に復帰したことにある。その後、1987年に中嶋悟が日本人初のフルタイムF1ドライバーとしてデビューすると一気にブームが加速し、一時代を築いた。今でもF1ドライバーといえば中嶋、鈴木亜久里、片山右京らを思い浮かべる人は多く、今回の日本GPで始めて角田の名前を知った人もいるのではないか。
現在、メジャーリーガーの数は1200人ほどいるが、F1ドライバーは全チーム合わせて20人しかいない。角田はレッドブル昇格前の昨年7月、
「世界的には大谷選手よりも、日本人F1ドライバーの方が有名です。結局、ヨーロッパで大谷選手はあまり知られていないですし、(人気が高いのは)日本やアメリカでのことだと思う」
と自信満々に語り、野球ファンを怒らせている。
角田にとって今年の日本GPは「大谷超え」を証明する絶好のチャンスだったが、残念ながら野球ファンを納得させることはできなかったのである。
(ケン高田)