●ゲスト:三宅恵介(みやけ・けいすけ) 1949年、東京都生まれ。71年、フジテレビ入社。75年より、萩本欽一総合司会のバラエティ番組「欽ちゃんのドンとやってみよう!」のスタッフとして、本格的にバラエティ番組の制作に参加。その後、「笑ってる場合ですよ!」「オレたちひょうきん族」「FNS27時間テレビ」など、フジテレビを代表するバラエティ番組の制作に携わる。現在、フジテレビジョン・エグゼクティブ・ディレクターとして「ライオンのごきげんよう」や「はやく起きた朝は…」を演出。また、テレビ制作会社「千代田企画」では代表取締役を務めている。著書「ひょうきんディレクター、三宅デタガリ恵介です」(新潮社)が好評発売中。
80年代を代表するバラエティ番組のひとつ「オレたちひょうきん族」でディレクターを務めた三宅恵介氏。このたび初の著書「ひょうきんディレクター、三宅デタガリ恵介です」が発売となり、天才テリーも興味津々。あの人気番組の裏側からテレビの未来まで、熱く語り合った!
テリー 著書、読ませていただきました。バラエティ番組がどんなふうに作られているのかがよくわかる、すごく貴重な内容ですね。
三宅 ありがとうございます。でも、テリーさんに読まれるなんて、ちょっと恥ずかしいんですね(笑)。
テリー 僕なんか三宅さんと同世代だから、涙が出るほど懐かしいし、おもしろかったですよ。なぜ本を書こうと思われたんですか?
三宅 「オレたちひょうきん族」のことはお話しさせていただく機会も多いんですが、それ以外の、これまで僕がフジテレビの先輩方に教わったことを何かの形で残しておきたいと思ったんです。しかし、やっぱり本が出ると、気になって本屋に行くもんですね。
テリー わかるなぁ! 自分の本がどんな扱いなのか、気になりますよね。
三宅 恥ずかしい話なんですが、フジテレビ内にある本屋さんで、ありがたいことにテレビ関係、しかも社員の本ということで、山積みで扱ってくれるんです。
テリー それ、うれしいことじゃないですか。
三宅 そうなんですけど、山積みだと売れてないみたいでみっともないから、自分で3冊買ったんです。よく考えてみたら、社内の人間には発売前に僕が配っちゃってますから、そこで売れるわけがないんですよ。
テリー ああ、そうか!
三宅 だから、そのあとも本屋をのぞいて山積みだと見ててつらくて、そのたびにADの子にお金を渡して買ってきてもらって。最終的に自分で100冊ぐらい買っちゃいました(笑)。
テリー アハハハハ! でもわかりますよ。自分の本って愛着があるし、子供みたいなものですから。
三宅 まったくです。いろいろ楽しい経験をさせてもらいました。
テリー そもそも、三宅さんがテレビの世界に入ろうと思ったきっかけは?
三宅 うちは両親が日本舞踊家で、NHKの「紅白歌合戦」やフジの「新春かくし芸大会」でタレントさんに日舞の振り付けをしていたので、テレビ局のお偉いさんを知っていたんです。
テリー へぇ~、芸能界に近いところで生まれ育ってるんですね。
三宅 それである時、父が「フジポニー」というビデオ制作会社ができることを聞きつけてきて。「これからは、本屋にビデオが並ぶ時代だからそれに先駆けて作る会社なんだ」と。それはおもしろそうだと思って行くことにしたんです。そこは10人ぐらいの小さな会社だったし、僕は面接と作文だけで内定をもらってるんですよ。
テリー そうか、最初はフジテレビの社員じゃなかったんですね。
三宅 そうなんです。で、その後、フジポニーにもテレビ制作部門を作ることになって、分社化したフジテレビの社員が100人以上一気に入ってきたんです。それで急に大きな会社になってしまって、ああ、これは出世できないなと(笑)。それから僕はテレビ部のADになって、最初に「お昼のゴールデンショー」につくんです。
テリー いきなり人気番組じゃないですか! 僕からすると三宅さんはずっとヒット番組に携わっていて、まばゆい存在なんですよ。
三宅 でも、当時のフジテレビは失礼ながら「振り向けば(東京)12チャンネル」と言われるぐらい視聴率が低かったですから。最近もまた、そんな状況ですけど(苦笑)。その分、好きなことができる、自由な雰囲気はありましたけどね。