テリー 「オレたちひょうきん族」の裏には、「8時だョ!全員集合」というお化け番組がありましたね。
三宅 当時、ドリフターズは大人気で、視聴率も40%ぐらいありましたし、これは何をやってもかなわない、と(笑)。だから「まったく逆のことをやろう」という戦略をとりました。
テリー その戦略とは?
三宅 例えば、向こうは生放送で、台本を作り込んでキッチリとオチに向かうコントをやっていた。だからこっちはVTRで「ハプニングありきのコント」で行こうとか。
テリー あ~、そういうことだったんですか!
三宅 あとは、チームプレイに対抗して、出演者ひとりひとりのキャラクターを生かしていこうと。例えば、「ツービート」という扱いではなく、あくまでもビートたけしさんとビートきよしさん、という感じ。コンビとして一緒に出演する機会は、ほとんどなかったと思います。
テリー そこまでやるということは、やっぱりドリフターズの存在はものすごく大きかったんですね。
三宅 ええ、ライバルなんて言ったらおこがましいですが。でも、「全員集合」がなければ「ひょうきん族」の大ヒットもなかったと思います。
テリー 番組がブレイクする中で、三宅さんたちも「ひょうきんディレクター」として人気者になっていくじゃないですか。あれはどういう経緯で?
三宅 もとはエキストラを使うとお金がかかるので、「なら自分たちでやっちゃえ」ってことだったんです。
テリー ああ、収録が深夜にかかると、交通費もバカになりませんからね。
三宅 横澤(彪、当時フジテレビプロデューサー)さんにコントに出ていただいたのが最初で、僕たちも少しずつ出るようになるんです。そうこうするうちに「ひょうきんベストテン」というコーナーがあったので、「ひょうきんディレクターズ」名義でレコード(「ひょうきんパラダイス」)まで出すことになってしまって(笑)。
テリー あった、あった。懐かしいですね。
三宅 その時のことでよく覚えてるんですが、“有線回り”というのをやったんですよ。
テリー よく演歌歌手の方がやってますよね。各地にある有線放送に挨拶して、曲をかけてもらう。
三宅 そうなんです。レコード会社の人がマイクロバスを出してくれて、昼過ぎぐらいからあちこち回っていたんですよ。
テリー へえ、楽しそうじゃないですか。
三宅 ところが、夕方ぐらいに浅草に行ったら、かなり年配の演歌歌手の方が「これ、お願いします」とレコードを手に関係者の方に頭を下げているのを目撃したんです。さすがに「我々みたいな遊び半分の人間が、こんな営業をするのは失礼だ」と思って、残りのスケジュールは全部キャンセルしましたね。
テリー とはいえ、やることが華やかですね。僕なんか当時、社員3~4人の小さな制作会社にいたから、「フジのディレクターは全然違うな」と、うらやましく思ってましたよ。そんな勢いだと、当時はモテました?
三宅 やっぱり勘違いはしますよね(笑)。
テリー アハハハハ! うらやましい!
三宅 でも、悪いことはしてないんですよ。
テリー う~ん、もったいない! 僕だったら絶対に女の子に声かけてますけどね。