晩年は長い俳優生活で培った経験から政治活動に尽力、思いの丈をぶちまけてきた。そんな素顔がうかがい知れる言葉の数々が今よみがえる。菅原文太(享年81)が世を去って1年。戦前から21世紀まで日本を見続けた男の真意とは──。
〈自分はこれまでヤクザ映画の俳優をやってきたけど、世間の人に何も貢献をしてこなかった。だから、老い先短い年齢になって、少しぐらいは人の役に立ちたいと思ったんだ〉
文太は、03年4月から亡くなる14年末まで毎週放送されたラジオ番組「菅原文太 日本人の底力」(ニッポン放送)に挑んできた胸中をこう明かしている。
番組では毎回、著名なゲストを招いて11年にわたり対談を行ってきた。今となっては貴重な文太の肉声が、一周忌に当たる11月28日、「日本人の底力」(宝島社)として書籍化される。担当編集の田村真義氏が刊行に至った経緯を語る。
「食、原発、東北復興、憲法、沖縄基地問題、そして日本人のあり方。晩年の文太さんが関心を持ち続けた日本の違和感をもっと多くの方に知ってほしい。奥様の協力の下、文太さんの遺志を尊重した本になっています」
13年3月、文太は国学院大学教授の菅井益郎氏と原発問題について語り合った。経済的豊かさばかりを追い求めてきたからこそ、11年の福島第一原発事故を招いたと考える文太。事故後2年を経ても利己的考えが変わらぬ人々に対し、こう訴えかけた。
〈この先5年かかっても10年かかっても、何かに向かって戦い続ける。それは権力かもしれないし、国家かもしれない。それとも無関心でいる日本の人々かもしれない。そういう戦いに、地元の人を引きずってでも巻き込んでいく人がほしいですね〉
事故当時、福島県双葉町の町長を務めていた井戸川克隆氏との対談においても、原発事故後の風景を嘆いた。
〈(前略)尻尾を巻いて安全な所へ逃げ込んでしまうことが多いよね。わが身だけ守ればいいという。(中略)気概とか誇りとかをどこかでひとつずつ脱ぎ捨ててきてしまった、その挙句の果てなんだな〉
周囲の欲や裏切りに翻弄されながらも、「義」に生きる。銀幕の中で、男の中の男を演じた文太ならではの悔しさという感情が言葉の端々からうかがえる。
沖縄基地問題にも精力的に取り組み続けた。作家・佐藤優氏との対談において、本土の住民が沖縄の負担を黙殺する姿勢を〈同胞を思いやる気持ちを失ってしまったんだろうか〉と評し、異議を呈す。
〈(前略)どうしてね、日本は安保条約や地位協定を変えようとしないんだろう。別に気色ばんで言うことでもなく、普通にアメリカに「出ていってくれ」と言えばいいんでしょ。それをどうして今まで言えなかったんだろうかと思うと、日本人として情けないなぁと〉
経済的利益を追い求めるばかりで、戦後70年近くたってなお米国の庇護下にいる日本人に我慢ができなかったのだろう。
〈(前略)日本人はもう一度、本当の意味での自立する心をね、取り返さないと。(中略)日本人が摘まれてしまったプライドとか、自立する心を取り戻せ、と〉
そんな思いを抱え、文太は死の淵まで行動し続けた。14年11月1日には沖縄県知事選で翁長雄志氏の応援に駆けつけ、敵陣営に「弾はまだ一発残っとるがよ」と「仁義なき戦い」の名ゼリフをもじった“口撃”を仕掛けたほどだ。
「文太さんは原発、電力、沖縄など、没後1年たっても国民を巻き込んでいる議論のテーマを何年も前から見据え、日本の構造的問題を説いていました。主義主張はいったん置いておいて昭和の名優の“最後のメッセージ”を読んでほしい」(前出・田村氏)
日本の行く末を思い続けた憂国の名優は、かくも重い言葉を吐き続けていた。