78年12月28日、俳優・田宮二郎の猟銃で命を絶つという衝撃が師走の街を駆け巡った。明けて1月6日に放映される「白い巨塔」の最終回を待たずに、43歳の苛烈な生涯を終える‥‥。その死を間近で見つめた妻は、これまで1度も〈深層〉を語ることなく過ごしてきた。そして今、意を決し、長い沈黙の封印を解く──。
「田宮の生涯にとって大きな損失となったのは‥‥大映を追われ、五社協定によって映画に出られなくなったこと。そして、遺作となった『白い巨塔』の出演を引き受けてしまったことだと思います」
元女優・藤由紀子こと幸子夫人(73)は、きっぱりと言い切った。
田宮二郎との結婚を機に芸能界を去って半世紀が経つが、その美貌は驚くばかりである。2年前に発症した脳梗塞の影響で歩行に障害は残るが、聡明な瞳に衰えはなく、語り口調も元女優らしく力強い。
ただし、夫人の38年に及ぶ「沈黙」には相応の理由がある。スター俳優の猟銃自殺という衝撃性は、2人の幼い子を抱えた夫人にとって、好奇の目にさらされる日々でもあった。
死の直後に1度だけ会見を開いて遺書の存在も明らかにしたが、以降は一切の発言を控えた。
「田宮の晩年が私にとってあまりにも過酷な日々であり、それからは『田宮の妻』ということも含めて、全てを封印することにしたんです。私が早くに引退したこともあって、その後の生活でも仕事でも、田宮の妻だと知られることなく過ごすことができました」
さて筆者は、没後30年であった08年、「田宮二郎の銃弾」という長期連載に取り組んだ。あれほどのスター俳優が、なぜ、壮絶な道を選ばなければならなかったのか‥‥。その謎を長男・柴田光太郎を筆頭に、遺作の共演者・山本學や長らくの盟友・鬼澤慶一らの貴重な証言を得て、週を追うごとに少しずつ解明することができた。
それでも、全ての鍵を握るのは、公私ともに支えてきた夫人である。長い期間をかけ、田宮の人物像を描くための「最後のピース」を埋めさせてほしいと依頼を続けた。そして──、
「誤解されている田宮二郎という役者の功績を残してくれるのなら‥‥」
そう言って了承し、静かに、しかし、あふれるほどの激情をにじませて貴重な事実を語り出した。
2人は63年に初共演し、ほどなく交際が始まる。
「田宮と初めて会った頃、お互いのギャラを打ち明けて、どちらも驚いたんです。私が1本25万円、だけど田宮は1本10万円だったんです」
この時期、田宮は「悪名」や「黒」のシリーズが当たっており、まぎれもなく大映の看板スターだった。それなのに松竹から移籍して間もない藤由紀子のほうがはるかに高い。
「田宮はもともと、大映の大部屋の出身です。どれだけ映画が当たっても、まだ“格”として認められなかったんでしょう」
全ての決定権は“永田ラッパ”と呼ばれた大映のワンマン社長・永田雅一が握っていたのだ。