78年3月26日、田宮の代表作「白い巨塔」がクランクインする。その撮影が始まってほんの1週間後、幸子夫人は、田宮の精神の病が再発したとわかった。
「田宮は『白い巨塔』の前半で躁状態のピークを、そして後半でうつ状態のピークの両方を迎えたことになります」
奇しくも、全31話の前半は大学病院の教授の座を狙う野心的な役であり、後半は医療裁判の敗北や病魔に侵される苦境の役。田宮の精神状態を予見しているかのようである。
さて、数々の怪しげな詐欺話に田宮が乗ったのは、自身の躁状態に踊らされてのこと。それが夫人との「決定的な亀裂」につながっていく。
莫大な金策に走ったため、田宮は土地の権利書や実印を探し出そうとする。家族の財産を守ろうとする夫人を、いつしか目の敵にするようになった。
「いつも私がどこにいるかと、居場所を突き止めるようになりました。ある日、胸ぐらをつかんで階段から突き飛ばされそうになった時は、このままでは殺されてしまうと思いました」
脱兎のごとく家を飛び出し、身の安全を考え、田宮の前から姿を消すことにした。田宮自身が「心から大事にしている」と明かした妻に向けた殺意は、もはや、正気を失っているとしか思えなかった。
それでも夫人は、田宮の食事は心配だった。そのため、田宮が撮影をしている時間に家に戻って作り、ガレージに車が入る音が聞こえると逃げるように家を出た。逃げるのが間に合わなかった日は、自分の部屋に閉じこもり、じっと息を潜めたこともあった。
田宮が息子たちに「どこに行った?」と聞いても、幼い兄弟は「知らない」と言うようにしていた。
やがて田宮は、撮影現場においても異様な言動を繰り返すようになった。共演者に投資話を持ちかけたり、小林俊一プロデューサーに「撮影を中断して、1週間、トンガに行ってくる」と言い出した。
小林は耳を疑った。週に1便しかないトンガ行きで不測の事態があれば、最悪、主演の交代も考えなければならない‥‥。
また夫人は、小林からこんなことも聞いている。
「シーンの撮影が終わると山のような10円玉を持って、ピンク電話の前から離れない。30分も1時間も、怪しい投資話をしていることがあった」
この時期の田宮は「日本のハワード・ヒューズになる」が口癖だった。ヒューズは映画製作と飛行機業に莫大な資産をつぎ込んだ億万長者だが、晩年は強迫性障害を病み、非業の最期を遂げている。
田宮は億万長者にはなれなかったが、ヒューズと同じく精神を病んでいくことになる。そしてトンガから帰国した田宮は、あれほど大言壮語していたことがうそのように意気消沈している。
ここから「うつ地獄」がさらに激化していった‥‥。