人を笑わせる天才・志村けんが、最愛の母の死と同時に女にフラれ、笑えない状況になっていた。「素顔は隠しておきたい」主義の志村だが、近況を独占キャッチ! 還暦過ぎのモテ男は、すぐさま次の女性に求愛していた。「ヘンなおじさん」とは真逆の、ダンディで真面目な私生活とともにお届けする。
「がっかりだよ‥‥」
昨年末以来、周囲にそう漏らし続けていたのは、志村けん(65)である。志村といえば、昨年11月23日に母・和子さんが亡くなったばかり。最愛の母との別離が身にこたえたのかと思いきや、そうではないらしい。どうも女にフラれてボヤいていたというのだ。
志村が日本を代表するコメディアンであることに、異論はないだろう。高校卒業の17歳でザ・ドリフターズの付き人となり、74年に正式メンバーへ。最高視聴率50.5%を記録した伝説の番組「8時だョ!全員集合」(TBS系)で、一躍人気者となってから現在までの活躍ぶりは誰もが知っていることだろう。
だが、そんなスーパースターでもなかなか手に入れられなかったものがある。それは、亡くなった母親が願ってやまなかった「お嫁さん」のことだ。
「肝機能障害が出たり、酒で体はボロボロ。老いの不安や寂しさの中で、志村さんも長くつきあえるパートナーが欲しいと思うようになった時期があったようです」(制作スタッフ)
その筆頭候補と目されていたのは、14年に写真週刊誌「フライデー」が報じた麻布十番にあるガールズバー「J」の店長・Sさんだった。これまで知られていなかったのだが、実はSさんは元グラビアアイドルだった。ある芸能関係者が明かす。
「今年ちょうど30歳になるSさんは、00年代前半にデビュー、自慢のFカップ巨乳を武器にグラビア雑誌やバラエティ番組などで活躍していました」
グラドル時代のSさんは、B86・W58・H84。身長155センチの小柄な女性で、志村とも噂になった元AV女優のみひろに似た女性だ。実際に、Sさんと何度も仕事をした雑誌編集者はこう語る。
「所属していた事務所は、AVプロダクションの関連会社でしてね。表向き水着アイドルを集めていましたが、いずれは脱がすために設立されました。彼女は、その第1弾だったんですよ」
当時、Sさんは、ヌードからAVへの転向を勧められていたという。
「ところが、彼女は頑として首を縦に振らなかった。結局、事務所は根負けして、そのプロダクションを潰してしまったんです」(前出・雑誌編集者)
Sさんはその後、他社へ移籍。しばらく芸能活動を続けていたが、09年にはグラビアを卒業、13年には芸能界を突如引退した。
「水商売で働きたいと思っていたようです。麻布でガールズバーをやっているっていうのは、意外と有名な話でしたよ」(前出・芸能関係者)
はたして志村は、Sさんを「元芸能人」と知って、スケベ心を躍らせたのか──調べてみると意外な事実が明らかになってきた。