90年のダービー初挑戦から苦節24年。ついに大願成就となるが、その目に涙はなかった。
だが、ダービー初制覇から2カ月後の14年7月28日、故郷で開かれた祝賀会のために帰郷した時は、涙がとめどなくこぼれた。
「いや、あれは泣きますわ。空港から出迎えの車に乗って(実家に)向かう途中から、祝いの立派な看板がいくつも立ってて感激しました。到着前から涙が出てね、車から降りるや花火が打ち上げられて、近所のおじさんやおばさんが20人か30人ぐらいで出迎えてくれた。みんな親のようなものですよ。田舎はそういうもので、『弘次郎ちゃん、よかったね』って。もう声にならなかった。涙が止まらんかった」
祝賀会には友人や知人ら160人以上が集まった。
「競馬人生の集大成となる結果が出て、これ以上ない幸せです」と壇上で報告する目にも涙が光った。
めったなことでは泣かないという橋口師だったが、一枚のツーショット写真を取り出しながら意外なエピソードを明かしてくれた。
「長嶋茂雄さんの引退式はテレビの前で泣きましたよ(笑)。昔から巨人ファンです。宮崎はキャンプ地ですからね。職業柄、多くの方々にお目にかかりましたが、オーラを感じたのは長嶋さんだけ。この写真は宝物の一つです」
甲子園での巨人戦のラジオ中継にゲスト出演した時には、こんなこともあった。
「ゴルフ仲間の長池徳士さん(元阪急)が解説者という縁で誘われたんです。ドバイシーマクラシック(GI)をハーツクライで勝ったあとだったので、よく覚えてますよ。06年5月4日で、(巨人が)サヨナラ負け。打球が三塁ベースに当たってレフト前に転がってね。(悔しいので)『競馬なら同着みたいなものですね』と、負け惜しみのコメントをしました」
その年のドバイには日本勢が9頭参戦。ハーツクライとともに、ゴドルフィンマイル(GII)に出走したユートピアも圧勝劇を演じる。同時に、これが日本調教馬による海外ダート重賞初制覇だった。
数々の勝利を振り返ると、節目の勝負強さが際立つばかりだ。
「(吉永猛厩舎所属の)厩務員の時は、最初に担当したサーフィンが未勝利戦で(自分にとっての)初出走戦で勝ってくれて、調教師としては、ハクサンレンポーが初出走初勝利でした。運がよかった」
橋口厩舎が飛躍するきっかけとなった秋の天皇賞馬・レッツゴーターキンにしても、生産者最大手の社台グループから預かった最初の牡馬だった。
「あの馬が結果を出していなければ、ダンスインザダークと出会えなかったかもしれない」
牧場時代、気性の悪さで定評のあったレッツゴーターキン。その馬でGI勝利したこともあり、橋口厩舎に大種牡馬サンデーサイレンス産駒の高額な有力馬たちが委託されるようになる。ダービーこそ2着も、菊花賞馬となったダンスインザダークは種牡馬になり、ザッツザプレンティを輩出。橋口厩舎で親子2代の菊花賞馬となる。同時にサンデーサイレンスの孫による初のGI勝利であった。