中江氏が続ける。
「僕は当時、『麻生太郎を首相にする会』に名を連ねていてね。政治家と会うと、名刺代わりに500万円は持たせていた。使った金は10億円。つまり、200人くらいに配ったことになるな。でもね、その時は仁義に厚くてね、名前を明かせという取り引きを断った。僕が逮捕されたとたんに離れていった政治家の連中の変わり身の早さを思うと、名前を出せばよかったと思うこともあるよ」
そう言って、金を渡した政治家の名前と具体的な金額を口にする中江氏だが、その中には元政権与党の超大物議員も含まれていた。
テレビ朝日・三浦甲子二専務氏、読売新聞の渡邉恒雄氏など、中江氏はマスコミ界の大物と交友を繰り広げた。政界のドン、田中角栄氏の力を借りることもたびたびだった。
角栄氏絡みでは、赤坂の半玉(芸者見習い)を一本(一人前)にした際、国税が動いた一件を回想する。
「自分の女にしたのはいいが、彼女、俺がやった金で赤いベンツなんか買うもんだから、同僚だったお姉さんが焼きもちを焼いて国税にチクッたらしいんだ。その時は田中角栄先生に止めてもらった。さすがに大蔵省にニラミが利くのか、国税の動きはピタッと止まったよ。そのお礼に3000万円を持って目白の自宅へ挨拶に行くと、『キミみたいなガキから金はもらえない』と突き返されたよ」
その際の角栄氏のひと言が今でも耳に残っている。
「中江君、ここでこの国の全てが決まっている。国会じゃない、俺が決めてるんだ」
中江氏が逮捕されると、それまで群がっていた政治家をはじめとする各界の有名人たちは潮が引くように散っていった。
「東京拘置所に収監されていた時のこと。ある新聞に漫画家の本宮ひろ志が『俺には2人、親友がいる。1人は江川卓で、もう1人は中江滋樹』と書いてくれた。あれは本当にうれしかったね。本宮氏との肝胆相照らすつきあいはその後長く続いたよ」
さて、中江氏といえば、交際が報じられた元アイドル歌手・倉田まり子との関係に触れないわけにはいかない。
写真誌「フライデー」が創刊号で中江氏と倉田の親密なツーショット写真を掲載し、倉田が芸能界引退に追い込まれたのだ。
当時の報道をひもとくと、倉田は中江氏から目黒の豪邸をプレゼントされたことになっている。しかし実際は、投資ジャーナルの関連企業「バンキング」から7000万円を無利子で借り入れ、豪邸を建設していたのだった。
「彼女とは4、5回デートしただけ。男女の関係はないよ。彼女は芸能界を引退したあと、さる大学の准教授になったって聞いた(編集部注・実際は、特命准教授。その後、特命教授に)。聡明で、とても頑張り屋だった。僕のことが週刊誌に掲載されるたびに名前を出され、すごく迷惑したと思うよ」
懐かしそうにそう振り返るのだ。