逮捕の真相に始まり、政界工作から人気絶頂アイドルとの不貞疑惑まで──。巨額の資金を動かし、栄華を極めた風雲児は、さまざまな大物と密接に交流した。そして「事件」により失脚。包み隠さず語られたのは、世間を騒がせたみずからの「傷」だった。
日本がバブル景気に沸いた80年代、この男の名を知らぬ人はいないほどだった。長髪、ヒゲ面で三つぞろいのスーツを着用し、兜町を闊歩した中江滋樹氏(62)である。「投資ジャーナル事件」で逮捕された中江氏が、証券史上最大の詐欺事件の真相を打ち明けた。
「正直言うとね、『10倍融資』なんていうキャッチフレーズを考えだしたのは、部下だった社長の加藤文昭なんだ。僕は違法性を知っていたから、そんなことやらないよ。でも、僕が知った時にはすでにスタートしていた。当時の僕は猛烈に忙しくてね。そこまで目が届かなかったんだよ」
1985年6月19日、投資顧問業「投資ジャーナル社」の会長だった中江氏は、詐欺容疑で警視庁に逮捕された。証券市場で7600人余りの投資家から金を集め、580億円をだまし取ったとされる事件である。
中江氏は悪徳商法で世間を騒がせ、マスコミの前で惨殺された豊田商事の永野一男元会長と並ぶ詐欺師というイメージが強いが、宙を仰ぎ見ながらこう反論するのだった。
「それは濡れ衣だよ。確かに僕は永野を知っているが、彼は老人の虎の子の金をだまし取った詐欺師だ。僕は投機家を相手にした。投資ジャーナルで780億円を集めたが、600億円を(投機家に)返した。会員には儲けた時に返していたんだよ。損をしたと言うが、投機家も悪い。その証拠に、検察は懲役12年を求刑して判決は6年。こんなのは無罪に近いよ。時代が変われば、もっと軽くなったはずだ」
中江氏の株の師匠が高校時代から会員になっていた名古屋の投資顧問会社「三愛経済研究所」の所長であることは前号で書いた。中江氏は24歳の時、上京して投資ジャーナル社を設立。78年のことだ。市場新聞、大和証券、野村証券、山一証券など、証券界のトップと交流を持った。トップ同士の勉強会にも出席して企業情報から的確な相場観を述べ、業界での評価は動かしがたいものになっていった。
中江氏は証券ジャーナリストとして「投資ジャーナル」「月刊投資家」といった証券関連雑誌を発行し、「絶対に儲かる」と株式売買のテクニックを披露する手法で会員を集め、関連会社も次々と設立。「兜町の風雲児」と言われた。
「『株の世界は株屋』という言葉があるほど古臭い世界でね。そこへ数学と科学を持ち込んだのが僕なんだ。例えば2割ずつ10回儲けると、投資した金額が何十倍にもなる。目のつけどころが違うだろう。高校の時、数学は全国模試で3番の成績だったんだから。それから上場企業の特許の情報に目をつけて、相場を予想した。当初ガリ版刷りだった『月刊投資家』を製本して本屋に置いてもらうと、バカバカ売れたよ。投資顧問料だけで500億円ぐらい稼いだかな。株で儲けたのが50億円。数字だけ聞いていると、すごいでしょ。でもこの50億円は全部、飲み食いで使ってしまった。この金を少しでも残しておくんだったな。しかし、当時は怖いものなしだったからね。無から有を生み出す。いつでも稼げると思っていた」