田中は、通商産業省(現・経済産業省)の幹部職員たちとの宴席の場でも、他の宴席の場のようにふるまった。
「俺が君たちのところを回るから、君たちはじっとしてろ」
そう言って、一人ひとりを分け隔てすることなく、酒を注いで回った。
「君、どっかで会ってるよな」
「はい。○○の件でお会いしています」
「ああ、そうだった。あの問題だったな」
田中と幹部職員の中には、田中が自民党幹事長時代に会っている職員も大勢いた。その時のことを、田中は覚えていた。田中の記憶力は、抜群だった。
小長啓一は、こんなことを言われたことがある。
「俺は、政治家になるまで、自分の名刺なんか持たなかった。相手から名刺をもらう意味はあるが、相手の方にすれば、俺の田中土建の名刺なんか糞くらえで必要なんかないだろう。それに、名刺をもらうと顔を覚えない。俺は名刺をもらわず、相手の顔を覚える。君らは、すぐ名刺交換をするから忘れるんだ」
田中の方から「どこかで会っているよな」と言われれば、幹部職員たちも覚えてくれていたのかと感動する。そこから話はどんどんはずみ、通産大臣と幹部職員たちの距離は一気に縮まってしまう。
田中角栄番となった政治記者は、千代田区平河町にある砂防会館内の田中事務所に挨拶に出向いた。
田中は、ダミ声を張りあげ、いきなり具体的な政局について話し始めた。
ちょうど昼時であった。
田中は言った。
「君、昼飯は」
「まだです」
「それじゃ、ラーメンを一緒に食おう」
秘書に命じ、出前をとった。
記者は、それまで何人もの政治家とつきあってきたが、初対面で食事を共にした政治家はいなかった。
彼は、強烈な印象を受けた。
〈何て気さくな人なんだ。これまでつきあってきた政治家と、どこか違う〉
政治部の記者たちとは、目白の田中邸で、毎朝8時から10分~15分ほど懇談する時間が用意されていた。田中は、一部の新聞社だけを優遇するような特ダネは一切出さなかった。
記者たちを眼の前にして、田中は宣言していた。
「俺との関係において、特ダネは出さない。特落ちもさせない。ネタを出す時は全員の前でする。だから、安心して休め」
この田中の態度は、記者たちも評価していた。
記者の中には、ギリギリのところを突いてくる鋭い質問をする者もいたが、田中もまた、それを実に巧妙にかわすのだった。
田中はこの記者たちも大事にして、酒の場を設けていた。記者たちとの宴席は、財界人や官僚相手の時のように料亭ではなく、すき焼き屋を使った。
サービス精神が旺盛な田中は、記者たちに「俺がすき焼きを作ってやる」といって振る舞おうとした。が、田中が作るすき焼きは塩辛くなってしまって、みんなの口に合わない。そのため、記者たちは店の仲居に「大臣はここにいてください。私がやります」と言わせて、田中に作らせないよう仕向けたりもした。
記者たちと酒を飲む時は堅苦しいことなど気にせず、田中もくだけた調子で時の流行歌をアカペラで歌い出したりするなど、終始、和気あいあいと楽しく騒いでいた。
1年間、角栄の傍で仕えていた期間中、小長が怒られることは一度としてなかった。
また自分以外でも、誰かが怒鳴られるような場面に遭遇したこともなかった。仮に田中が叱る際には、ちゃんと相手以外の人たちを席から外させ、2人だけになってから叱ったという。
作家:大下英治