今季からMLBのロサンゼルス・ドジャースに活躍の場を求めた“マエケン”こと前田健太。その右腕の名が初めて全国に轟いたのは、当時は大阪の名門校だったPL学園のエースとして出場した06年の春の選抜だった。初戦の真岡工(栃木)戦でまず毎回の16奪三振で9-1と余裕の大勝を飾ると、続く愛知啓成戦も被安打5、9奪三振の快投で1-0の投手戦を制し、甲子園初完封勝利を挙げる。
続く準々決勝の秋田商戦はみずからホームスチールを決めるなど、走攻守の活躍で4-1で勝利し、堂々のベスト4に進出した。だが、準決勝では清峰(長崎)相手にまさかの6失点で途中降板し、無念の敗退。それでも、前田の実力と名前は全国区となっていた。
実は前田はPL入学直後から“桑田二世”とニックネームが付けられ、関係者からは注目される存在だった。当然、桑田と同じく1年の夏からベンチ入りし、夏の大阪府予選では大阪桐蔭との大会史上初となる決勝戦再試合で先発、11安打を浴びながらも13-7で圧巻の完投勝利を収めたのである。
そんな活躍もあり、1年生ながら前田は夏の甲子園初戦でも先発マウンドを任された。その起用に応えて強打の日大三(西東京)打線を3回まで無失点に抑える。だが、2回途中の守備で右足つけ根付近に打球を受けるアクシデントの影響もあったのか、4回に捕まり一気に3失点。結局、5回を投げ被安打8、奪三振4で途中降板。試合も5-8で敗れてしまった。結局、この1年生時の登板が、後のメジャーリーガー前田にとって最初で最後の夏の甲子園のマウンドとなるのである。
2年夏は大阪府大会の準々決勝で前年のリベンジに燃える大阪桐蔭の前に2-4で惜敗。最後となる3年夏も準々決勝で東大阪大柏原に6-9で敗退。かつては泣く子も黙る強さを誇ったPL学園も、今夏をもって野球部は活動休止。まさかのPL出身で最後のスターとなってしまったマエケンだが、彼にとっても夏の甲子園はほろ苦い思い出でしかないのだ。
(高校野球評論家・上杉純也)