今では「大谷翔平の(花巻東の)先輩」といったほうが、世間での通りがいい菊池雄星(現・西武)だが、甲子園での注目度は大谷よりも数段上だった。
07年の夏、1年生ながら甲子園で初登板。新潟明訓との戦いで、スコアレスで迎えた5回表からのリリーフ登板で被安打5、4奪三振で1失点。しかしこの1点が決勝点となり、初戦で敗退した。しかしこの日、最速145キロをマークしたことで一躍プロ注目の投手となったのだ。
才能が開花したのは09年春の選抜。触れ込みは最速149キロを誇る大会NO1左腕。その前評判に違わぬ投球で菊池はチームを準優勝に導く。決勝戦こそ0-1で清峰(長崎)に惜敗したものの、全5試合で40回を投げて失点わずか3。被安打25、奪三振41という豪腕ぶりだった。
当然のように、菊池擁する花巻東はその年の夏の選手権では優勝候補の筆頭にあげられる。チームは順調にベスト8へと進出したが、菊池の投球から春の凄味を感じないのは、誰の目にもあきらかだった。準々決勝の明豊(大分)戦も7-6と辛勝。しかもこの試合で、菊池はアクシデントに見舞われてしまう。4回までパーフェクトと好投したものの、5回途中で背中の痛みを訴え、緊急降板してしまったのだ。
準決勝の中京大中京(愛知)戦では先発マウンドに立てず、4回裏2アウト満塁のピンチでリリーフ登板するも2本の長打を打たれ、わずか11球で降板。チームも1-11の大敗し、その夏に菊池がスターの立ち位置を極めることはついになかった。
じつは初戦の長崎日大戦。8-5で勝利したものの、菊池は被安打9で3被弾で詰め掛けたファンや報道陣を失望させていた。ところが大会後の精密検査によって、左の5本目の肋骨が折れていたことが判明。それでも3回戦の東北(宮城)戦では自己最速の154キロをマークしたことは、当時のNO1左腕の意地だったのだろう。
(高校野球評論家・上杉純也)