現在の日本プロ野球界で唯一の“二刀流”として球界を席巻する大谷翔平(現・日本ハム)。だが、こと甲子園での活躍はというと、わずか2試合の出場しかない。
初の甲子園は2011年夏。2年生ながらすでに花巻東高校のエースナンバー1を背負っていた。だが、初戦の帝京(東東京)戦では先発投手ではなく、3番ライトで出場。初登板は2-4とリードされた4回表1死一、三塁のピンチの場面。この回は1失点で切り抜けたものの、5回に3安打を浴び2失点。そして、チームが7-7と同点に追いついた直後の7回表に長短打を打たれ1失点。結局これが決勝点となり、大谷は5回2/3を投げて被安打6の3失点で敗戦投手になってしまった。今では信じ難いが、奪三振もわずか2つだった。
一方で、打者としての大谷はこの試合、3打数1安打。その1本が6回裏に一時は同点に追いつくレフト前への2点タイムリー。大谷はこの翌年の12年春の選抜にも出場。そこでは大谷と並ぶ大会の注目選手と目された藤浪晋太郎(現・阪神)の大阪桐蔭といきなり初戦で激突することになった。投手・大谷は5回表まで大阪桐蔭打線を2安打無失点に抑えたものの、6回表に2つの四球と長短打を浴びて一挙に3失点。7回には本塁打を打たれるなど、8回2/3を投げて被安打7、与四死球11で9失点(自責点5)。大阪桐蔭打線の強力打線の前に一敗地にまみれた。それでも意地の11奪三振は他ならぬ大谷の実力の片鱗といえた。
かたや打者・大谷と大阪桐蔭のエース藤浪の対決は3打数1安打。その1安打が2回裏の花巻東の先制点となった右中間への本塁打だった。
そして迎えた大谷にとって最後となる3年生の夏。その県大会準決勝の一関学院戦で高校野球史上初の160キロをマークしスポーツ紙などを一斉に賑わすも、決勝では今回の大会も岩手県代表で出場する盛岡大付戦で3ランを浴びるなど3-5で敗退。あと一歩、甲子園には届かなかった。
甲子園の通算成績は投手としては14回を投げ、防御率3.77、16奪三振。打者としては6打数2安打、打率3割3分3厘、3打点。とても「大スター」と呼べる特筆すべきものはない。しかし、高校生には難攻不落と言われた藤浪から、大谷が放った目の覚めるような一発こそ、その後の二刀流への布石だったことは間違いない。
(高校野球評論家・上杉純也)