●ゲスト:衣笠祥雄(きぬがさ・さちお) 1947年、京都府生まれ。平安高校卒業後の1965年、広島カープ入団。1968年から一塁手として一軍レギュラーに定着。背番号28から「鉄人」の愛称で親しまれる。1980年8月2日、1247試合連続出場の日本プロ野球記録達成。1982年、12年連続全試合出場を果たし、王貞治の皆勤11シーズンの記録を破る。1983年8月9日、史上16人目となる通算2000本安打達成。1984年、打点王を獲得するなど広島のリーグ優勝と日本シリーズ制覇に大きく貢献し、MVPに輝く。1986年6月7日、2000試合連続出場達成。1987年6月13日には2131試合に到達。同年、プロ野球選手として2人目の国民栄誉賞を受賞するとともに現役引退。引退後は野球解説者として活躍。また音楽好きとしても有名で、TBSラジオの「鉄人ミュージック」ではパーソナリティも務めている。
70~80年代にかけて広島東洋カープの主砲として数々の記録を樹立、「鉄人」の愛称で多くのファンに愛された衣笠祥雄氏。選手を引退した現在もなおチームへのまなざしは熱く、このたび25年ぶり、7度目のリーグ優勝を果たした広島の現在を、天才テリーとともに熱く語り合った!
テリー ついに広島カープが25年ぶりのリーグ優勝ですね。おめでとうございます!
衣笠 いやあ、長かったです(笑)。ただ考えてみると、その分だけ喜んでくれる人が増えたかなと。1年ごとに新たなファンの方に関心を持っていただいて、その積み重ねで25年分の喜びになったとすれば、結果的によかったかなと思います。
テリー 東京のスポーツ紙の1面を、これだけカープが飾った年も珍しいんじゃないですか。
衣笠 僕が現役の頃はめったになかったですね。ところが今年は連日でしょう? 中には大きな特集を組んでいるスポーツ紙もありましたから「ホントに広島だよな?」と半信半疑で、隣りの人の新聞をのぞき込みましたよ(笑)。
テリー 25年前は「カープ女子」なんて言葉もなかったですもんね。
衣笠 その言葉が使われるようになって、もう10年以上になると思いますね。当時はいちばん弱かった時代ですから、「母性本能をくすぐった」みたいな言い方をされていましたねェ(笑)。で、独身の選手も多かったから若い女性ファンが増えた。
テリー 9月の中旬だったかな? 僕、ヤクルト-広島戦の時、ちょうど(神宮球場のある)青山にいたんですけど、やっぱりカープ女子がたくさん来ていましたよ。
衣笠 多かったでしょう。東京ドームは、さすがにチケットの関係でそう簡単には席は取れないんですが、神宮、横浜は、今なら半分ぐらいが広島ファンで埋まります。
テリー 球場の周りが全部真っ赤で、共産党大会があったんじゃないかと思いましたよ。
衣笠 ハハハハハ! ホントに赤いユニホームを着て東京の街を歩かれる方が増えましたね。昔は巨人ファンが多いですから、だいたい野球場へ行くっていったら黒ですよ。で、夏になれば白。しかも、いずれにせよ男ばっかりで(笑)。
テリー そういうファンの後押しもあってのリーグ優勝だったと思うんですけど、昨年とはどこが違ったんですか? 昨年も期待されながら結果は4位だったじゃないですか。しかも今年はエースのマエケン(前田健太)もいなくなって、誰もこの状況を予想できなかったんじゃないですか。
衣笠 でもね、テリーさん、広島というのはおもしろいチームで、FAという制度ができてから、ほとんど選手を獲ったことがないんですよ、出るばっかりで。川口(和久)が出た、江藤(智)が出た、金本(知憲)が出た、新井(貴浩)が出た。いい選手がいっぱい出ていきました。
テリー 言われてみれば、そうですね。
衣笠 でも、主力が出て行くと不思議と順位が下がらないのが広島というチームなんです。だから、逆にそうなると「自分たちで頑張るしかない」って結束力が強まるチームなんじゃないかと。
テリー なるほど。
衣笠 だから僕は、今年優勝して、いちばんガッカリしてるのはマエケンじゃないかと思いますね。「何で俺がいなくなった時に優勝したんだ!?」って(笑)