70年代の事件に目を転じると、赤軍派による「よど号ハイジャック」(70年3月)に始まり、バイオレンスに充ちた梅川昭美の三菱銀行北畠支店での人質・立てこもり(79年1月)で幕を下ろした70年代は、「革命」への見果てぬ夢と「死」の匂いが漂う10年であったといえる。
70年3月31日、共産主義者同盟赤軍派の田宮高麿をリーダーとする9人の過激派が羽田発福岡行きの日航機「よど号」をハイジャックして北朝鮮に渡った事件は、70年代を象徴するものであったといっても過言ではない。というのも、これに続く72年のあさま山荘事件、テルアビブ空港乱射事件、連合赤軍リンチ殺人事件はいずれも、もはや幻想でしかない“革命”を夢見た行動だったからである。
その意味でいえば、70年11月に起きた作家・三島由紀夫の自衛隊市ヶ谷駐屯地自決事件も右寄りの“革命”をめざすものであったといえるかもしれない。それにしても、「よど号」をハイジャックした赤軍派のメンバーが北朝鮮に渡ったというのは、いまを生きる人間にはまったく理解できないのではないだろうか。亡命先として、どうしてあんなオンボロ独裁国家を選んだのか??? と。だが、当時にあっては、金日成の主体(チュチェ)思想を掲げる社会主義国・北朝鮮は彼らにとって“理想の国”だったのだ。
1970年4月16日号は、彼らの機関誌「赤軍」第7号に載った「蜂起のための軍隊建設のために」と題するスローガンを紹介している。
〈【1】武器の入手と訓練、【2】6、8派共闘の学生戦線を武装蜂起統一戦線に再編する、【3】学生、高校生、青年労働者を自衛隊に入隊させ、反乱を準備させると同時に、自衛隊基地から武器獲得を図る。【4】首都制圧における、国際的、国内的武器の確保、製造および革命的同志の武装奪還〉
90年代のオウム真理教ないし現在のIS(イスラム国)を思わせるような武装闘争をほのめかしていた。だから、「赤軍派が狙う第2第3の乗っ取り計画はこれだ!」というタイトルのこの記事は次のように書く。
〈ことし3月はじめには、資金獲得のため銀行強盗や大学の入学金強奪を企て、また「暗殺名簿」を作成したという“実績”をもつ赤軍派だけに、必要とあらば、国内の輸送手段をストップさせるための新幹線乗っ取りも企てているらしい〉
キナ臭い時代だったのだ。