97年7月、潜伏先の福井市で逮捕された、指名手配逃亡犯の福田和子。時効成立21日前、ぎりぎりのタイミングだった。
整形手術「8つの顔を持つ女」「22に及んだ偽名」、パチンコや宝飾品好きなど、男をダマし14年11カ月に及んだ日々は魔性の女よろしく派手な逃亡生活だった。アサヒ芸能も逮捕の9年前に、石川県内の和菓子店で内縁の妻に収まり、金沢中署の捜査員を紙一重でかわして逃亡したことをスクープしている(88年3月10日号)。
和子の逃亡生活と生育歴を作家・大下英治氏が「独占第3弾!実母が明かす『20年ぶり再会』の一部始終」として寄稿している(97年11月20日号)。
和子は高校を退学すると、付き合っていたタイル工の少年と、強盗事件を起こす。懲役2年6カ月から4年という重い判決が下ったが、松山刑務所に収監されていたとき大変な事件が彼女を襲ったのである。
〈(捜査資料より)《H(ヤクザ者の実名)・昭和41年3月22日頃、拘置場女子房において、Fを脅迫し強姦しようとした。さらに同年3月24日頃、拘置場女子房においてFを脅迫し強姦した》Fとは和子のことである。……看守部長が、暴力団組長を手引きし、廊下伝いに、和子のいる女囚監房に入れたという〉
和子は99年の著書『涙の谷』で、次に移送された高松刑務所でも同様の被害に遭ったと記している。今日ならば、すぐさま医療刑務所などに移送してケアすべきだろうに、度重なる悪夢に襲われた和子の胸中は「捕まって、また刑務所に戻るのだけはいやだ」と思っても不自然でない。
和子を襲った看守は事件後、2人が自殺している。和子は05年、和歌山女子刑務所で服役中、くも膜下出血で急死した。享年57。