まったく無名の女の子が、股間に林檎をかざした写真で旋風を巻き起こした。70年代のグラビア史に甘酸っぱい香りを漂わせた麻田奈美(63)が、引退以来の沈黙を破り、特別メッセージを寄せる。
72年秋、麻田は母親に連れられ、写真家・青柳陽一氏のもとを訪ねた。まだ18歳のあどけない顔だちだったが、その豊満な肢体は青柳氏を驚かせる。
母親は「娘の若く美しい姿を記録に残したい」と考えてのことだが、およそヌードとは無縁の純潔な少女が脱ぎ、はち切れんばかりの胸をあらわにしていたのだ。
麻田は遠い日の出来事を、まるで昨日のように語り始めた。
「私は何も知らないし、母親が脱げと言うので脱いだまでです。青柳さんや助手の方の雰囲気がよく、恥ずかしいとかそういう気持ちは一切ありませんでした」
154センチと小柄だが、B85・W60・H85の鮮烈なボディと、クラスの片隅にいそうな純朴な乙女のムードは、この時代において画期的な存在だった。
「私は友達も多くないし、外にもあまり出たがらない性格でした。それが撮影の現場に触れることで、どんどん気持ちが明るくなりました。特にロケは大好きで、全てがすばらしい世界だと思いました」
青柳氏による写真が73年1月29日号の「平凡パンチ」に掲載されると、瞬く間に大人気に。さらに同年の3月12日号には、あの股間に赤い林檎を置いた有名なショットが掲載される。
同誌は空前とも呼べる100万部以上の売り上げを記録し、麻田奈美はたちまち若者たちのトップアイドルとなった。ただ、麻田自身はボディにも人気にも実感はなかったと言う。
「自分のバストがキレイだと思ったことはないんです。知らないうちに大きくなっただけなのに、それが写真になり、本に載り、とても驚きました。私のカラダが喜ばれるなんて、信じられませんでした」
あまりの人気に「股間に林檎」はポスター化され、アグネス・ラムの登場以前、日本中の青少年の部屋に貼られていたとも言われている。これに関しても麻田は距離感を置いていた。
「撮った青柳さんがポスターにしただけだから、私は関係ないんです。あれは“別の人”という感覚でした」
麻田はヌードで有名になるや、CM出演やレコードデビューなど、当時としてはありえない方面からも声がかかった。
さらなる飛躍が期待されたものの、麻田は実質5年ほどの活動を終え、78年に引退する。その理由の一つに、バストが85センチから90センチに成長したように、本人が肥満を気にしたのではと言われている。
「私はあまり気にしていなかったんですが、母親が体形には厳しかったんです。私も『プロの青柳さんに撮ってもらうのに、やはり太ってはダメですよね』と打ち明けたことがあります」
引退から20年以上もたった00年、麻田の写真集が復刊され、以降も人気に応えて続々と刊行を重ねた。
「今は義理の母の介護で多忙を極めています」
麻田は近況をそう語った。今も交流が続く青柳氏によれば、顔は年齢相応になったものの、あの豊満なプロポーションは往時のままだそうである。