B90・W60・H90のグラマラスボディから、元祖“和製マリリン・モンロー”として70年代に愛されたホーン・ユキ(66)。今だから言える“ボイン秘話〞とは?
当時、自分がグラマーだと思ったことはないですよ。ただ太っていただけ(笑)。でも、30歳で長男を出産した時は自分でもさすがにビックリしました。母乳でパンパンになった胸の大きさを見て、産院の先生に「ドッジボールみたいだね!」と大笑いされたくらいです。
次男出産後は、大きさは落ち着いてきたものの母乳は大量に出ていました。そんな時、時代劇のオファーをいただき、スタジオも家に近く、収録も数時間とのことでお受けしました。
内容は、露口茂さんとの濡れ場。肌襦袢1枚で出番を待っていると、どんどん時間が押していって、ついには胸がパンパンに。そして許容量を超えたのか、おっぱいがあふれてきちゃったんです。
襦袢も、借りたタオルも、露口さんと入っていた布団もビッショビショ(笑)。スタジオはおっぱい臭が充満して、みんなで「こんなにおっぱいくさいスタジオは初めて!」と笑いながら演じましたね。
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すでに専業主婦として女優業をセーブしていた彼女が、子供たちを“友人”に預けて挑んだ仕事だった。その友人とはなんと、79年に結婚するや「不倫略奪婚」と騒がれた当時の夫・入川保則の前妻だったという。
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実際は、不倫する間もなかったんです。結婚願望が強かった28歳の頃、誰かれかまわず「お嫁さんにして」と軽口を叩いていて、同じことを入川さんに言うとその翌日に彼、家を出て来ちゃったんです。前妻さんとはすぐ離婚が成立し、「返さないでよ」と言われました(笑)。私も責任を感じましたし、家族の反対を押し切り、駆け落ち同然で結婚。落ち着いた頃に週刊誌がやって来たんです。
だから先妻さんとの関係は良好。私と長男、入川さん、先妻さんとその子供2人で、「オールスター家族対抗歌合戦」(フジテレビ系)に出演したこともあります。
そんなふうに、純粋な愛情より責任感が勝った結婚でしたから、悩みも多かったですね。結婚当初、若い女の子を家に連れて来たりしてたんですよ。私が怒ると、「何で怒るんだ? 俺がいかに外でモテているか見せたいだけなのに」と、悪びれずに言うような男性ですから(笑)。
さらに、阪神・淡路大震災の被災や義母の介護、子供たちの学校の問題から夫婦ゲンカに発展することも多くなり、83年に離婚しましたが、子供たちは明るく元気なので、親はダメでも子は育ちますね。それにね、私は今の私が嫌いじゃないんです。今までの経験、全て積み重ねた過去もひっくるめた私が、ね。
現在は、16年1月にガードマンの仕事を辞めて、8月にもそれまで組んでいたユニットを辞めて、1人で定期的にスクリーンライブをやっています。
「風と共に去りぬ」や「ローマの休日」などの映画を流し、ストーリーテラーを担当しつつ、合間に映画に合わせた「愛の讃歌」や「監獄ロック」などを流して、映画の筋に合わせた歌詞に変えて歌っています。
忙しいけど充実していますよ。80歳までは突っ走りたいですね。