81年にデビューした高樹澪(56)は、女優としても歌手としても鮮烈な印象を残した。だが、あのクールな表情の下には、実は驚くほどの豊満なバストが隠れていたのだ。
芸能界に入る前は、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)で企業の当座預金業務を担当していた。人目に触れる窓口にいたわけではないが、それでも、桁外れのプロポーションは通勤ルートさえも困難にした。
「乗るたびに痴漢にあっていたんですよ。だから毎日、家から銀行に行くまでの電車を変えたんです。あえて先の駅まで行って戻るとか、時には父親に同乗してもらうこともありました」
スレンダーでミステリアスな女優として認知されたが、銀行員時代は「バスト102センチ」だったというから驚愕のサイズ。ブラウスの胸のボタンが飛ぶことも珍しくなく、さらに高樹は、ある試みも実践してみた。
「あまりにも胸が重たすぎて、これはいったいどのくらいの重さなんだろう‥‥そう思って、計量器に片方ずつ乗せてみたんです。そしたら、左が2.5キロ、右も同じく2.5キロ、合わせて5キロもの重さでした」
80年代は今ほどブラのサイズが細分化されていない。それでも、アンダーが65センチで、トップが102センチというから、GカップからIカップは間違いない。
「自分で言うのもアレですけど、ウエストは細くて胸とお尻だけが大きい。男の人が妄想するような、二次元のような体形だったと思います。だからブラも既製品では合わず、妊婦さんがつけるような物を代用していました」
今ではどんなサイズでも容易に手に入るが、80年代までは国産で大きめのブラを探すのは至難のこと。高樹は10代の終わりに訪ねたアメリカの地で、下着がより取り見取りだったことに感激した。
「日本だといちばんいいのは水着でしたね。アンダーがわりと簡単に調整できるんですよ」
銀行を辞めて本格的に女優に転向した81年、サザンオールスターズの桑田佳祐が音楽監督を務めた「モーニングムーンは粗雑に」で主演デビュー。銀行員時代よりはスレンダーになったとはいえ、それでも96センチを誇ったバストを、フルヌードでスクリーンに焼き付けた。
「撮影スタッフに言われましたよ。あんなに大きいのに、横になっても流れない胸を初めて見たって。まあ、それが若さだったんでしょうね(笑)」
ただし、作品の評価も興行成績も芳しくはなかった。高樹いわく、照明スタッフがそのまま画面に映り込んでしまう“粗雑な作品”だった。
同年、高樹は「無力の王」という映画でも内田裕也を相手に濡れ場を披露するが、こちらも興行的には振るわず、高樹のヌードもこれにて打ち止めとなる。
「ほとんど世の中には流通してなかったと思いますが、それでも、これ以上『脱ぐ人』というイメージを事務所はつけたくなかったんでしょうね。たくさん舞い込んだヌードの仕事は、全てシャットアウトしてくれました」
そして高樹澪は、片側顔面麻痺による長らくの休業を乗り越えて女優業を再開。17年春公開の「おとめ桜」では、竹中直人と夫婦役で共演している。